三億円事件の現在とは?「奴が犯人の1人に間違いない」

日本犯罪史において最も有名な事件に数えられ、戦後最大級の未解決事件「三億円事件」。

1975年12月10日に刑事訴訟法上の時効が成立した後も、小説「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」やフジテレビのドラマ「モンタージュ 三億円事件奇譚」、漫画「クロコーチ」など「三億円事件」を題材にした作品が多数誕生しました。

今回は時効成立から40年以上経つ現在も話題になる、「三億円事件」の犯人ついて調査しました。

現在の犯人予想


出典:https://www.jiji.com

2024年現在、未解決事件「三億円事件」の犯人は誰と予想されているのでしょうか。

三億円事件の犯人ついて、2023年12月のYAHOOニュースに取り上げられていたため記事を要約しました。

 

1968年12月10日に起きた「三億円事件」。

発生直後に捜査本部が目を付けた地元の不良少年・佐伯徹(仮名)は、警察の取り調べを受けることなく自死しました。

 

一度は捜査本部も捨てた「佐伯犯人説」でしたが、時効を前に最後の捜査の主たる対象は、佐伯少年と同じ不良グループの「立川グループ」で、事件後から急に金回りが良くなった青田正(仮名)を追うことになりました。

 

青田正は車の窃盗常習者で、佐伯少年とは親密な友人関係にあったそうです。

 

「青田正の家は貧しく、父親は病気で入院していた。本人も定職がなく、スナックを経営する母親にしょっちゅうカネを無心していた。それが事件翌年、喫茶店を開き、不動産会社を設立。昭和50年当時は、六本木に事務所を構えて株の仕手戦を手がけており、家賃が10万円以上もする代々木の外交官が住む家具付きマンションが自宅だった。何百万円もするムスタングやコルベットなどの高級外車を次々と乗り回し、ハワイの高級別荘まで購入していました。我々の間では“最後の容疑者”と呼ばれていた」とある元警部補が語っています。

 

警視庁が青田正を別件の恐喝容疑で逮捕し、青田正が動かしたカネの出所を集中的に調査したところ「三億円事件」後の1968~1971年当時のカネの出所が問題視されました。

 

青田正はカネの出所を秩父の知り合いから借りたものとしましたが、警察がその人物に確認すると嘘だということが判明しました。

 

「取調室では激しい攻防が続きました。しかし不測の事態が生じた。おかしな点を追及していると、彼が突然、ウワーと叫び、机や床に頭を打ちつけ始めたんです。調べ官が“出所を説明しろ”と更に迫ると“言えない”とだけ答え、また頭をぶつけ始めた。“なぜそんな苦しい思いをする。カネの出所を説明すれば済むだけのことだろう”と叱責したが、それには答えず、自傷行為を繰り返しました。自殺を図ろうとしているようなものです。マスコミに漏れたら、大変な問題になる。聴取にならず、時効の問題もあり、上層部の判断で取り調べは打ち切られました。結局、怪しいカネの出所ははっきりしないまま終わった。時間がなかったのが残念です。奴が犯人の1人で間違いない。もう少しで逃げ切れるので、必死にあんなマネをしたのでしょう」と青田正の取り調べ状況を知る元刑事が語っています。

 

未解決事件のため、逮捕することは叶わないものの青田正が犯人の一人なのはほぼ間違いなさそうです!

 

 

事件現場の現在の様子


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現金約3億円を載せた日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車があった日本信託銀行国分寺支店の跡地の写真です。

日本信託銀行国分寺支店は現存していませんでした。

 


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東京都府中市栄町、府中刑務所北側の学園通り」路上が「第1現場」と呼ばれ、現金輸送車が奪われた現場です。

 

第2現場(1):七重塔跡近くの墓地入口


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七重塔跡近くの墓地入口の写真は見つからなかったため、七重塔跡の写真です。

 

第2現場(2):武蔵国分寺跡のクヌギ林


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武蔵国分寺跡のクヌギ林の写真は見つからなかったため、武蔵国分寺跡の写真です。

東京都国分寺市西元町七重塔跡近くの墓地入口および武蔵国分寺跡のクヌギ林が「第2現場」と呼ばれ、現金輸送車が乗り捨てられていた場所でした。

 

第3現場:明星高校近くの空き地


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明星高校近くの空き地の写真は見つからなかったため、明星高校入口の写真です。

東京都府中市栄町、明星高校近くの空地が「第3現場」と呼ばれ、現金輸送車を追跡するために使用したと推定される「第1カローラ」が乗り捨てられた場所でした。

 

第4現場:東京都小金井市本町の団地敷地内の駐車場

東京都小金井市本町の団地敷地内の駐車場の写真は見つからなかったので、団地沿いの写真です。

 

東京都小金井市本町の団地敷地内の駐車場が「第4の現場」と言われ、「第2現場」で犯人が現金輸送車から乗り換えた「第2カローラ」が乗り捨てられていた場所でした。

 

令和になった現在は何事もなかったのような事件現場ですが、「三億円事件」があったことを思うと怖いですよね…

 

 

少年Sの実態


出典:https://www.jiji.com

「三億円事件」の現場にいた4人の銀行員より、容疑者に上がったのが少年Sこと「佐伯徹(仮名)」でした。

 

佐伯徹は車やバイクの窃盗を繰り返す、立川グループという地元の不良グループのメンバーで、恐喝や傷害で何度も逮捕されていました。

 

また「3億円事件」の前に佐伯徹を含めた不良少年4人が、府中市の明星高校の教職員の給与を運ぶ現金輸送車を襲う計画を立てていたそうです。

 

明星高校は佐伯徹が2年時に中退するまで通った母校で、その後、標的が立川バスというバス会社の職員の給与に変わったことも判明しました。

 

2023年12月のgooニュースの記事で「事件直前の11月、私の部屋に来た彼が、現金輸送車襲撃計画を仲間と相談していた」と少年の恋人が語っていました。

 

佐伯徹は1968年9月に少年鑑別所から別の矯正施設に移送される途中で脱走し、その後も国立市内で傷害事件を起こし逮捕状が出ている状況でした。

 

1968年12月15日傷害容疑で逮捕状を取っていた立川警察署の刑事たちが佐伯徹宅を訪問し、応対した母親に息子がいるかどうか尋ねたところ、佐伯徹の部屋からレコードをかける音が聞こえており、彼がいることは間違いなかったそうですが、母親は「息子はいません」と答えたそうです。

 

2023年12月のYAHOOニュースの記事より「父親が帰宅したその日の夜、父子が大喧嘩する声が近所で聞かれています」と元捜査一課の刑事が語っています。

親子喧嘩をした深夜、少年Sは青酸カリを飲み、自死しました。

 

少年Sは可愛がっていた妹宛てに「死ぬというのは美しい。この世は醜悪だ。父も母も世間体ばかり考え、虚栄心だけで生きている」と記した遺書を残しました。

 

なんと少年Sの父親は「警察官で交通機動隊の中隊長」でもあったそうです!

 

真実はもう語られることはありませんが、少年Sが「三億円事件」の犯人の一人だったことはほぼ間違いないでしょうね。

 

 

世間の声


出典:https://twitter.com/

 


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まとめ

今回は時効成立から40年以上経つ2023年現在も話題になる、「三億円事件」の犯人ついて調査しました。

  • 犯人の一人は少年Sの可能性が高いが、事件後まもなく自死している
  • 犯人の一人は事件後、急に金回りのよくなった青田正(仮名)の可能性が高い
  • 少年Sと青田正は「立川グループ」に所属し親密な友人関係だった。

三億円事件の犯人は少年Sと青田正の可能性が高いことかわかりました。

現代であればカメラやDNA鑑定の発達で逃走経路やアジトなども容易に特定されてしまいますが、「三億円事件」は昭和40年代だったからこそできた完全犯罪です。

 

「三億円事件」は被害金額2億9430万7500円の語呂で現金強奪犯は「憎しみのない強盗」とも言われていますが、報道被害で自殺した人や捜査の過労で殉職した警察官、7年間に9億円以上の捜査費用がかかっていることなどを考慮すると、このような事件が2度と起こらないことを心から願っています。

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