森鴎外(もりおうがい)は明治時代、大正期の日本で活躍しました。
小説家、評論家、翻訳家、陸軍医、官僚など名だたる才能を持ち合わせている人物です。
そんな森鴎外は、有能な人物であるが故の最期を迎えているのです。
今回は、そんな森鴎外の最期に迫ってみましょう。
2つの説の死因
60歳で亡くなった森鴎外には、2つの死亡説が存在します。
小説家としても陸軍医としても、功績を収めている森鴎外ですが、その功績こそが死因が2つある理由なのです。
肺結核説
肺結核は、森鴎外の本当の死因とされています。
肺結核は、人から人へと感染する病です。
結核菌により肺に炎症が起こり、発症するのです。
森鴎外はこの肺結核に感染していたので、肺に炎症が起ったのでした。
今では、薬で治すことができますが、森鴎外の生きた大正時代では、不治の病だったのです。
なぜ、森鴎外は結核でなくなることになったのでしょうか。
理由として挙げられているのは、陸軍医の時に、ドイツで交際していた女性がいたのですが、その女性から感染したとされています。
ドイツから帰国後に結婚した登志子さんも、離婚後に肺結核で亡くなっているので、ドイツで感染したことが濃厚となっているのです。
腎萎縮説
公的な死因とされていたのは、腎萎縮です。
ここで気になるのは、「公的」という意味です。
なぜ、公的な死因が存在するか。
それは、森鴎外の地位に関係がありました。
森鴎外は、陸軍軍医としても活躍していました。
そして、森鴎外には、愛すべき家族が存在しており、家族が差別を受けることも考えられました。
陸軍軍医でありながら、感染病である肺結核で死亡したことは、陸軍としても、森鴎外としても都合が悪かったのです。
したがって、「しばらくの間、死因は隠しておこう」ということになり、公的には「腎萎縮」となったのです。
腎萎縮とは腎臓が硬くなり、縮んでしまい、重要な臓器である腎臓が、機能しなくなる病気です。
森鴎外が、腎萎縮を患っていたのは真実でしたが、直接的な死因とまではなく、死因はあくまで「肺結核」だということが濃厚なのです。
最後の言葉「バカバカしい」の真相
森鴎外の死に際の言葉は「バカバカしい」という言葉でした。
その「バカバカしい」という言葉の推測が存在します。
叙位栄典の通知が来なかったことに対する「バカバカしい」です。
森鴎外は小説家や陸軍医、様々な功績を残した人物ですが、「無位無冠で死にたい」と発言していたのです。
しかし、森鴎外は、叙位栄典を伝える勅使を袴姿で待ち続けました。
死に際、勅使が来ないことを知った森鴎外は、「バカバカしい」と発言しました。
無位無冠を宣言したものの、内弁慶であり、本当は叙位栄典を望んでいたのではないでしょうか。
自身が言ったこととはいえ、森鴎外には違った思いがあったのではないかと思ってしまいます。
想像を超える遺言
森鴎外は森林太郎として、死にたいと遺言を残しています。
森林太郎とは、森鴎外の本当の名前なのです。
幼馴染である賀古鶴所氏に遺言を口述筆記してもらっています。
遺言には、自分は森鴎外としてではなく、森林太郎として、しがらみに囚われず最期を迎えたい。
死の瞬間から、森林太郎となるので、森鴎外としての功績を讃えるものから自ら辞すること。
自分の墓には「森林太郎」以外の文字を一字たりとも彫らないことと記述されていました。
様々な功績を残した森鴎外ですが、最期は様々なしがらみから逃れて、元の森林太郎に戻りたかったのではないでしょうか。
下記は、森鴎外が眠る禅林寺にある、森鴎外の遺書が刻まれている石碑です。
墓は太宰治の近くにある
森鴎外(森林太郎)の墓の前には、太宰治の墓があります。
なぜ太宰治のお墓が目の前にあるのか、それは太宰治は森鴎外のファンだったからだといわれています。
小説家としての森鴎外を慕っていたのですね。
森鴎外の遺書にもあったように、墓には森林太郎以外の文字は掘られていません。
森一族のお墓の真ん中に堂々と佇んでいます。
そんな森鴎外のお墓は「禅林寺」と言うお寺にあります。
私たちも知っているお笑い芸人兼小説家である又吉直樹さんも、よく訪れるのだとか。
有名な先生が2人も眠っているお墓なら、小説家としては行くしかないですよね。
森鴎外と太宰治の墓所は朝8時から日没まで、自由に入ることができます。
案内札もあり、是非1度は訪れてみたいものですよね。
しかし日没以降は閉じ込められる可能性があるようなので、注意が必要です。
もしもお墓に閉じ込められたら、想像するだけで寒気がします。
下記はそんな森鴎外と太宰治が眠る墓所、禅林寺の地図です。
機会があれば、是非訪れてみてくださいね。
世間の声
まとめ
今回は森鴎外の死因や遺言、お墓など最期の姿を調べてみました。
まとめると下記となります。
- 森鴎外の死因は2つ存在するが、正確には肺結核が死因だった。
- 森鴎外は様々な理由により、公的な死因は腎萎縮とつてられていた。
- 森鴎外の最期の言葉は「バカバカしい」であった。
- 森鴎外の遺書には、森林太郎として最期を迎えると言う強い願いがあった。
- 森鴎外のファンである太宰治は、目の前にお墓を建てた。
偉大な人物である森鴎外の最期を調べると、そこには私たちが普通に遂げることのできる「自分」で生涯を終えることが、最後の願いでした。
しがらみがない事は、普通ではなく、幸せなことなのかもしれませんね。