「昭和のモテ男」や「元祖プレイボーイ」などと言われるほど、女性関係で世間を賑わせた火野正平さん。
そんな火野正平さんの活躍や女性遍歴などについて見ていきたいと思います。
目次
週刊誌に取られまくっていた若い頃
若い頃から俳優として活躍していた火野正平さんですが、女性関係が派手だった為当時のワイドニュースを賑わせていました。
どのような女性と関係があったのでしょうか。
11股でモテモテだった頃
出典:https://www.bing.com
火野正平さん曰く、若い頃は最高11股をしていたようです。
交際していたとされる女性達も名立たる女優や歌手の方ばかりでした。
火野正平さんの女性遍歴は次のようになります。
- 1970年:一般女性と結婚
- 1971年:新藤恵美と交際
- 1972年:小鹿みきと交際
- 1972年:一般女性と離婚(籍は入れたまま)
- 1977年:紀比呂子と交際
- 同年:リリィと交際
- 同年:ホーン・ユキと交際
- 1978年:望月真理子と交際
- 1981年:仁支川峰子と交際
- 1982年:一般人女性と事実婚
- 平成以降:染谷まさ美と交際
- 平成以降:松居一代と交際
公になっているだけでもこれだけの女性との交際歴があります。
フリーの時期が無いのでは?という女性遍歴ですよね。
交際した女性から恨まれそうなものだが、不倫同棲で芸能生命を失った小鹿みきは「私はただ、あの人と一緒にいるだけでよかった」と。望貝真理子も「あの人が真理子という女と暮らして、よかったと思ってくれるだけでいいんです」と肯定的。これについて火野は『さんまのまんま』(関西テレビ制作)出演時に「変な女がいなかった」と話しており、「火野やったらしゃあないやろと皆から思われていた」とも話している。
火野正平さんの人柄が良かったのか、交際した女性達から恨まれる事は無かったようです。
最初に結婚した女性とは現在でも離婚届が提出できておらず、現在の奥さんとも事実婚状態だと言います。
また、最初に結婚した女性との間には子供が2人、1978年から交際していた女優の望月真理子さんとの間には子供が1人います。
現在の奥さんとの間にも2人子供がいる事が分かっているので、少なくとも5人は子供がいるようです。
若い頃の少し強引な口説き方
火野正平さんのモテる理由は、少し強引な口説き方にもあったようです。
11股をしていたというプボーイな火野正平さんですが、実は自分から攻めないタイプだったようなんです。
火野正平さんは、「男はくさそうだ」と言って「男の子」である事を目標にしていたようで、女性達の心を虜にしたのだとか。
相手の女性が自分に好意があるのを見抜き、「絶対にそうなるんだから、早くなった方がいいんじゃないか」「そうなった後の方が楽しいんだから、早く一緒になろうよ」と少し強引な口説き方で交際を後押ししたそうです。
そんな母性本能をくすぐる少年のような人柄と、少し強引な口説き方のギャップが火野正平さんがモテた理由なんでしょう。
濱田岳とそっくりだった
火野正平さんの若い頃は、濱田岳さんにそっくりでした。
ちなみに左が若い頃の火野正平さん、右が濱田岳さんです。
本当に親子のようにそっくりな事に驚きますよね。
「本当の子供では?」や「いつ作った子供だろう」などという声もあったようですが、『さんまのまんま』のTV内で否定しています。
そんな火野正平さんと濱田岳さんですが、2019年に放送された『釣りバカ日誌』の新春ドラマスペシャルで親子役で共演しています。
濱田岳さんとの共演に対して火野正平さんは、「やっとホントの息子と同じお仕事が出来ました。ここまで隠してきたけど、光栄です」と冗談交じりでコメントをしています。
ドラマでの共演はご本人達はもちろん、お2人のファンの方にとっても嬉しい共演だったのではないでしょうか。
若い頃から現在までの活躍
70歳を超えた現在でも映画やドラマで活躍中の火野正平さん。
11歳の頃から子役として活躍していた経歴を持ちます。
10代から俳優として活躍
火野正平さんが初めて出演したドラマは1962年に放送された『少年探偵団』です。
少年探偵団での出演後に「劇団こまどり」に入団しました。
その4年後の1966年に出演したドラマ、『わんぱく砦』では主題歌も担当し人気者の仲間入りとなりました。
この頃は本名である「二瓶 康一(にへい こういち)」という名で活動していました。
火野正平さんの主な出演作品は以下の通りです。
出演ドラマ
- 1962年:『少年探偵団』 初出演
- 1966年:『わんぱく砦』
- 1973年:『国盗り物語』
- 1977年:『新・必殺仕置人』
- 2005年:『大奥~華の乱~』
- 2018年:『anone』
出演映画
出典:http://show-hei.sakura.ne.jp
- 1974年:『俺の血は他人の血』 初出演・初主演
- 1999年:『梟の城』
- 2010年:『花と蛇3』
- 2013年:『終戦のエンペラー』
- 2019年:『闇に抱かれて眠れ』
国盗り物語で大ヒット
火野正平さんは、1973年に放送されたNHK大河ドラマ11作品目の『国盗り物語』で豊臣秀吉役を演じました。
火野正平さんの他にも、当時の若手俳優だった高橋英樹さんや近藤正臣さんなども出演し、若くてエネルギッシュな演技が公表だったようです。
国盗り物語で俳優としての転機を迎え、翌年の1974年には映画『俺の血は他人の血』で映画初出演にして初主演を務めます。
火野正平さんは、この『国盗り物語』から本名の二瓶康一に変わり、『火野正平』という芸名で活動しています。
新人という形で出演してほしいと言われたので名前を変えたんだよね。当時の事務所の社長が池波正太郎さんとつながりがあったので、正の字をいただいて正平。
それにしても「昭和のモテ男」と言われた火野正平さんが、女好きとして有名な豊臣秀吉役をしたというのは、偶然なのでしょうがとても面白い配役ですよね。
自転車番組で今も人気
2022年現在、火野正平さんはNHK BSプレミアムで放送されている『にっぽん横断 こころ旅』に出演しています。
自転車に乗って全国を回る番組で、相棒の自転車「チャリオ」と共に自転車で旅をする様子が放送されています。
火野正平さんは、「琵琶湖一周」や「六甲山越え」を果たしているとの事で昔から自転車が好きだったようです。
番組内では小さい子供から老婦人まで年齢問わず「レディ」として扱っていて、老若男女問わず自然体で話す姿から、火野正平さんはナチュラルに人間性が良いのだという事が分かります。
誰からも好かれるような人なんでしょう、昭和のモテ男代表だった事も頷けますよね。
世間の声
まとめ
今回は、火野正平さんのモテ男だった若い頃について迫ってみました。
まとめると以下のようになります。
- 若い頃は最高11股をしたほどモテていた。
- 少年らしい人間性と強引な口説き文句のギャップで女性を虜にしていた。
- 俳優の濱田岳とそっくりで親子説がでていた程だった。
- 10代でデビューし、現在まで俳優として活動している。
- 国盗り物語で火野正平に改名し、俳優としての転機になった。
- 自転車番組『にっぽん横断 こころ旅』で活躍中。
火野正平さんは、とても派手な女性遍歴を持つ俳優ということがわかりました。
過去の女性達から恨まれなかったことや、現在でも愛されていることからとても素晴らしい人間性をお持ちの方だということが分かりますよね。
ぜひ今後とも女性達を虜にしていってほしいものです。