2009年5月2日、日本のキングがまた1人天に召されました。
「KING OF ROCK」として日本のロックンロールを常に先導してきた、伝説のロックンローラー忌野清志郎さんです。
58歳というあまりにも若いキングの旅立ちに、日本中のロックを愛する人たちが悲しみに暮れました。
今回は最期までその姿勢を失わなかった、ロックンローラーとしての彼の姿を追ってみたいと思います。
目次
噂に過ぎない暗殺説
なぜかネットでは「忌野清志郎暗殺説」が立ち上がりましたが、その説にはまったく根拠はありません。
忌野清志郎さんは自分がボーカルをつとめる「RCサクセション」や「ザ・タイマーズ」というバンドで、「反戦」や「反原発」などの政治批判や、時にはメディアまでも否定する歌をたくさん作ったのです。
そして、そのメッセージ性の強さから放送禁止になることもありました。
テレビ中継では演奏中に悪ふざけをしたり、放送禁止用語などを繰り返し、視聴者からの抗議も殺到したりすることもあったそうです。
このような活動が世間的に敵を多く作り、暗殺されたという噂も出たのかもしれません。
しかし、これらだけで「忌野清志郎は暗殺された」と定義するには、あまりにも根拠が乏しいため、やはり暗殺説は噂に過ぎないということです。
ザ・タイマーズとして活動する忌野清志郎さん。
土木作業用ヘルメットをかぶり鼻から下を手拭いで覆う左翼活動家のような出で立ちで、ひたすら反体制を唄い続けた伝説のバンドとなりました。
喉頭がん→癌性リンパ管症
忌野清志郎さんの本当の死因は「癌性リンパ管症」という病気でした。
「悪性リンパ種」でもなく「○○癌」でもない、ふだんあまり耳慣れない病名です。
一体どのような病気なのでしょうか。
死因:癌性リンパ管症
忌野清志郎さんは癌を罹患し、それがきっかけでこの病気を併発してしまったことが、直接の死因になります。
この病気は何らかの癌が進行した結果、リンパ管に癌細胞が入り込んで増殖してしまうものです。
この状態を「癌性リンパ管症」と呼びます。
そして、そのリンパ管に増殖した癌細胞がリンパ管を塞いでしまい肺に水が溜まるため、呼吸困難などが症状として現れます。
原因が進行した癌によるためのものなので根本的な治療法がなく、酸素吸入やモルヒネ剤など対処療法が中心となります。
またこの病気の恐ろしいところは、一度罹患するとその進行がとても早く急速に悪化してしまうところです。
肺に水が溜まると呼吸がしづらくなりとても苦しい思いをする上に、多くの人が数日以内に亡くなってしまうそうです。
忌野清志郎さんの最期も、相当苦しい思いをしたであろうことは想像できます。
原因:喉頭癌
2006年7月13日、忌野清志郎さんは自身が運営するウェブサイト「地味変」で喉頭癌を罹患していることを公表しました。
この喉頭癌が、亡くなった原因となった、癌細胞の増加による「癌性リンパ管症」を引き起こすことになったのです。
喉頭癌は咽頭(のど)にできる癌で、その部位を声帯より上にできる声門上癌、声帯にできる声門癌、声門より下にできる声門下癌と3ヶ所に分けられます。
初期症状としては、のどの違和感や声のかすれなど、風邪の症状にも似ています。
どの喉頭癌も早期であれば、切除手術と放射線治療などで根治が可能です。
切除部分も一部なので、発声も可能な上、目立った機能障害もないそうです。
しかし、ある程度進行してしまうと喉頭の全摘出手術になってしまうので、発声機能が失われてしまいます。
ヘビースモーカーが悪影響を及ぼしたか
調べによると喉頭癌患者の95%が喫煙習慣があったそうです。
さらに長年の喫煙習慣がこの病気に関わっている、ということが疫学的に証明されています。
忌野清志郎さんも1日30本以上は吸う、かなりのヘビースモーカーでした。
罹患する数年前から禁煙をしていたそうですが、やはり長年の喫煙には勝てなかったようです。
治療方法:抗癌剤治療&玄米菜食法
先ほども述べたように、喉頭癌の主な治療法は切除手術と放射線治療が一般的になっています。
しかし、忌野清志郎さんは、そのどちらも選びませんでした。
なぜなら忌野清志郎さんの場合、医師からは喉頭の一部切除ではなく全摘出手術を勧められたからです。
全摘となったら当然声帯もとることになり、もう声は出ません。
そうなったら忌野清志郎さんは、歌で世界へメッセージを送ることができなくなってしまいます。
そして、もう一つよく行われている放射線治療ですが、この治療法は胃に穴をあけて流動食を摂る食事方法になる可能性があります。
しかし胃に穴をあけてしまうと、唾液の分泌ができなくなり唄うことが難しくなってしまいます。
抗癌剤は喉への負担がかかりすぎます。
あくまで唄うことにこだわり続けた忌野清志郎さんは、この放射線治療と抗癌剤治療も断りました。
そして「KING OF ROCK」として、何よりROCKをファンへ届けることを大切にしていた忌野清志郎さんは、玄米菜食法という療法を選びました。
この食事法は肉や魚、乳製品などの動物性タンパク質を控え、玄米と野菜を中心とした食事を3食きちんと食べる、という方法です。
この食事療法は科学的に「癌に効く!」と証明されているわけではありません。
しかし玄米穀物や海藻類、野菜などには抗酸化作用が抗癌作用がある成分を多く含んでいると言われています。
きのこ類には免疫力を高める作用があり、癌細胞の増殖を防ぐそうです。
忌野清志郎さんはこの玄米菜食法で、癌と戦うことを選びました。
彼は最期までステージにあがることを諦めていなかったのです。
玄米菜食の一例です。
動物性タンパク質を使わなくても、こんなに美味しそうな食事が作れます。
死後もファンに愛されている
忌野清志郎さんが亡くなって、すでに10年以上経ちました。
しかし、今でも「KING OF ROCK」として彼を愛する人がたくさんいるのです。
ここからは、彼の死がいかにその後のファンや音楽業界に今でも影響を与えているかを述べていきます。
ロック葬に4万人のファン集合
忌野清志郎さんの葬儀は2009年5月9日、東京都港区の青山葬儀所で開かれました。
忌野清志郎さんの葬儀は「ロック葬」と名づけられ、友人や関係者が約1000人ファンは約4万人も集まり「KING OF ROCK」との別れを惜しんだのです。
葬儀の最後には彼の代表曲「雨上がりの夜空に」を列席者全員で忌野清志郎さんの歌声と共に大合唱をして、彼を送り出しました。
そこは葬儀場ではなく「青山ロックン・ロール・ショー」と銘打った、まさに忌野清志郎さんのライブステージでした。
忌野清志郎さんを見送った「青山ロックン・ロール・ショー」の様子です。
とても故人を偲ぶ雰囲気ではないところも、忌野清志郎さんならでは。
ちなみにこのライブステージのサウンドトラックも発売され、最後のライブの様子を聞きたかった多くのファンが買い求めました。
そしてこのロック葬でまた一つ伝説が生まれました。
それは、THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS、ザ、クロマニヨンズのボーカルで、忌野清志郎さんと深い親交のあった甲本ヒロトさんによる弔辞です。
喪服で集う弔問客の中彼はただ1人革ジャンに黒いスキニーパンツという姿で、忌野清志郎さんの前に立ちました。
友人である前にライバルである前に、ヒロトさんは純粋に忌野清志郎さんのファンであったことを告白します。
そして外で待っている他のファン同様、忌野清志郎という男のことを愛して憧れていた4万人の1人に戻りました。
この弔辞は今でもファンの間で伝説になっています。
甲本ヒロトさんは、今でも忌野清志郎さんへの憧れを抱きながら、パンクロッカーとして大活躍をしています。
今でも墓参りに訪れる熱いファンたち
東京都八王子市にある高尾霊園高乗寺に、忌野清志郎さんは眠っています。
今でも命日である5月2日には、日本中から多くのファンが彼の墓参りに訪れています。
忌野清志郎さんのお墓は派手なことが好きだった彼らしく、ウサギやブタのブロンズ像や色とりどりの花で飾られています。
こんなところも、賑やかなことが大好きだった忌野清志郎さんらしいですね。
死後も業界から愛されている
「KING OF ROCK」の名前でたくさんの人を魅了した忌野清志郎さんは、今でも色褪せることなく音楽業界にさまざまな影響をもたらしています。
それは亡くなった後でも開かれるイベントや、テレビの特集などが行われていることから明確です。
姿は亡くなってしまったけれど、彼のロックスピリッツは確実に引き継がれているのです。
没後10年まで開催されたイベント
2011年から彼の没後10年目にあたる2019年まで、毎年「KING OF ROCK」を讃えるイベントが行われてきました。
その名もズバリ「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」。
忌野清志郎さんが「RCサクセション」というバンドを組んでいた頃からの盟友、仲井戸麗市さんや生前から親交の厚かったトータス松本さんなど、さまざまなビッグスターが出演してきました。
そんな彼らに没後10年讃えられてきた忌野清志郎というロックスターが、いかに巨星だったかよくわかります。
今でも大勢のロックン・ローラーから愛されているのです。
2015年の命日にNHKで特集番組
さらに2015年にはNHKのBSプレミアムで、忌野清志郎さんのドキュメントをまとめた忌野清志郎特集が放送されました。
また、NHK総合の人気音楽番組「SONGS」では「SONGS 忌野清志郎」を放送。
生前の彼のライブ映像や番組に出演した時の映像などを多々紹介しました。
そして奥田民生さんや曽我部恵一さんなどのゲストが、忌野清志郎さんの思い出や彼への想いを語ったのです。
世間の声
まとめ
今回は忌野清志郎さんの死因や、治療方法、亡くなった後の音楽業界について触れてみました。
- 暗殺説は根拠のないただの噂だった。
- 死因は癌性リンパ管症だが、この病気を引き起こした直接の原因は喉頭癌によるもの。
- 1日30本以上吸っていたタバコが喉頭癌になった。
- 摘出手術、抗癌剤、放射線治療などは全て拒否した理由は、まだステージで唄うことを諦めていなかったから。
- 玄米菜食法という食事療法を行ったが、癌には勝てなかった。
- 葬儀は「ロック葬」で、ファン4万人が集結。
- 死後も様々な人から愛されており、没後10年まで音楽イベントが開催されたり、NHKで特集番組が組まれたりした。
早いもので、伝説のロックスター忌野清志郎さんが亡くなって10年以上過ぎました。
常に平和を歌にして世論を敵に回すことなど気にもとめない、熱いロックンロール魂を持ち続けた人でした。
彼は今、このきな臭い世の中をどんな思いで眺めているのでしょうか。
できることなら、もう一度その歌声でこの世の中に大きな喝を入れてもらいたいと思いました。
1日でも早く、彼が優しい気持ちで見守ることができる世界になりますように。