徹子の部屋でおなじみの、黒柳徹子さん。
著書の「窓際のトットちゃん」が大ヒットし、ユニセフの親善大使やパンダの保護活動など、多方面で活躍しています。
また、新しいものが大好きで、InstagramやYouTubeなどを行ったりと、若者にも人気がありますね。
今回はそんな黒柳徹子さんの若い頃について、深く迫ってみましょう。
目次
プロフィール
- 名前:黒柳徹子(くろやなぎてつこ)
- 生年月日:1933年(昭和8年)8月9日
- 出生地:東京府東京市赤坂区乃木坂(現 東京都港区乃木坂)
- 血液型:A型
- 職業:女優・タレント・声優・司会者・エッセイスト
- 配偶者:なし(未婚)
- 家族:父・黒柳守綱(ヴァイオリニスト) 母・黒柳朝(エッセイスト) 弟・黒柳紀明(ヴァイオリニスト) 妹・黒柳眞理(元バレリーナ、エッセイスト、美容師)
- 愛称:トットちゃん・チャック
黒柳さんが生まれる前、両親は男の子が生まれると思い、「徹」という名前をつけようと考えていたそうです。
しかし、女の子が生まれたため、やむを得ず「子」を付けて、「徹子」になったそうです。
若い頃が美しすぎる
今現在も、年齢を感じさせない美しさがありますが、若い頃はもっと美しかったようです。
そんな黒柳さんの若い頃を見ていきましょう。
問題児だった学生時代
黒柳徹子さんは、幼少期に問題児扱いされていました。
教室のふたが珍しく、授業中に何度もパタパタ開け閉めしたり、窓際でチンドン屋さんを呼び込んだりと、授業に集中できなかったそうです。
そのため先生から迷惑がられ、小学校1年生の時に学校を退学させられています。
しかし、その後転校した「トモエ学園」では、のびのびと小学校生活が送れるようになります。
転校初日に、校長先生が「なんでも話してごらん」と言ったので、1年生だった黒柳さんは4時間もしゃべり通したそうです。
黒柳さんが話している間、校長先生は話を遮ることなく最後まで話を聞いてくれました。
黒柳さんは、後に自身が発達障害であることを公表しています。
校長先生から、毎日「君は本当はいい子なんだよ」と言われ、のびのび育った黒柳さん。
問題児扱いされ、転校していなければ、今の黒柳さんはいなかったかもしれませんね。
テレビ女優第1号として活動開始
黒柳徹子さんは、1953年NHK放送劇団の一員になり、テレビ女優第1号としてデビューしました。
NHK放送劇団5期生で、約6000人の応募者の中から6次審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれています。
1954年には、ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で自身初の主演を務めます。
その後は、子ども向け番組で様々なキャラクターの声を演じるなど、週6、7本のレギュラー番組を抱えるなど、多忙を極めるようになりました。
1958年には、「第9回NHK紅白歌合戦」の司会を務めます。
その後1980年から4回連続で紅白歌合戦の司会を務め、2015年にも総合司会を務めます。
紅白歌合戦では、合計6度の司会を務め、NHKアナウンサー以外の女性では最多となっています。
また、舞台女優としても活躍し、毎日芸術賞や読売演劇大賞の主演女優賞も受賞しています。
ニューヨークへ留学
黒柳徹子さんは、1971年9月から1年間、ニューヨークに留学しています。
ニューヨークでは、ワンルームに暮らしながら演劇学校で演技の勉強や、ダンススクールでダンスの勉強をしていたそうです。
また、その当時、着物を着て社交の場に行っていたことから、「着物と洋服、どちらにも似合う髪形を開発したい」と、トレードマークの『タマネギヘア』が生まれたそうです。
『徹子の部屋』の司会に抜擢
1976年には、『徹子の部屋』の司会に抜擢されます。
徹子の部屋は、2022年現在、放送47年目、放送回数は11000回以上でギネス記録「同一の司会者による番組の最多放送回数世界記録」に認定されています。
毎回色々なゲストが登場し、黒柳さんとの絶妙なトークが楽しい番組ですね。
レアな画像
Instagramでたくさんの投稿をしている黒柳徹子さん。
その中で、なかなか見ることができない黒柳さんの姿を見つけました。
早速見ていきましょう。
ロングヘアー
こちらは、「30代半ばに、一瞬やってみた髪型」として、Instagramに投稿されたロングヘアーです。
タマネギヘアとは印象が変わり、とても美しいですね。
端正なお顔が、なんだか小悪魔的な感じでもあります。
黒猫のコスプレ
こちらは、2019年のハロウィンの日にInstagramに投稿された黒猫のコスプレ姿です。
オードリーヘップバーンにも似ていると話題になり、「いいね!」が4万以上もついたそうです。
とても素敵ですね。
若い頃のモテモテなエピソード
とても素敵な黒柳徹子さん。
若い頃はモテモテだったそうです。
モテモテなエピソードを見ていきましょう。
アラン・ドロンに口説かれた
黒柳徹子さんは、なんとアラン・ドロンに口説かれていたそうです。
「世紀の美男子」と呼ばれた、フランスの俳優、アラン・ドロンさん。
1964年、当時黒柳さんが司会を務めていたNHKの「夢で逢いましょう」にアラン・ドロンさんが出演しました。
黒柳さんが挨拶するなり、アランは「テツコ、なんて美しいんだ」と手にキスをし、口説き始めたそうです。
黒柳さんに愛をささやくという設定のコントだったのですが、アランは黒柳さんに一目ぼれ。
番組収録後に行った赤坂のナイトクラブでも、本気で口説かれたそうです。
しかし、黒柳さんは、「タイプじゃなかった」と語っています。
40年間、ワイセンベルグと交際していた
黒柳さんは、40年間、ワイセンベルグと交際していました。
2017年放送の「一周廻って知らない話」で過去に40年間交際した恋人がいると告白しています。
相手の名前は言っていませんでしたが、その相手はアレクシス・ワイセンベルグだと噂されています。
ワイセンベルグはブルガリア出身のピアニストで、ニューヨークフィルハーモニーと共演するなど活躍していました。
黒柳さんがニューヨークに留学していた38歳の時に知り合ったそうで、ワイセンベルグから「一緒にパリに来てくれないか」と言われたそうです。
仕事を辞める決断が出来なかった黒柳さんは、遠距離恋愛をすることになりました。
帰国後は、年に1、2回会いに行き、遠距離恋愛を続けてきましたが、ワイセンベルグが2012年に亡くなり、終わりを迎えたそうです。
黒柳さんは、「良い恋愛をすると、別れても、その人が死んでも、いつまでも生きていくことができる」と語っています。
40年もの遠距離恋愛でしたが、とても良い恋だったんですね。
若い頃からやっている美容法
今でも美しさを保っている黒柳徹子さん
若い頃からやっている美容法があるそうです。
どんな美容法なのか見ていきましょう。
ノーブラ
2015年フジテレビで放送された「ヨルタモリ」で、普段、ノーブラで過ごしていることを告白しています。
「徹子さんはノーブラって本当ですか?」と聞かれ、「大体いつもノーブラです」と、あっさりと返答。
黒柳さんは、就寝時に下着を着けること自体に抵抗があるようで、「寝るときのパンティっていうのは、あぁいうの、絶対イヤよ。」と語っています。
ちなみに、タモリさんも、「おれも(パンツは)はかないな。」とのこと。
一緒に出演していた宮沢りえさんも、「私もはかないですね。」と同調していたそうです。
睡眠法「二度寝」
黒柳さんは、雑誌『domani』で、驚きの睡眠法「二度寝」を明かしています。
それは、「夜11時過ぎに、顔も洗わずに洋服だけ脱いでそのまま寝る。
3時間ほどで一度目が覚めるから、原稿書きなどの仕事をして、朝方にメークを落としてお風呂に入って、また寝る」というものです。
二度寝には良くないイメージがありますが、年を重ねると眠りが浅くなり、長時間眠ることがストレスになることもあるとか。
そのため、黒柳さんのような高齢者には、二度寝は理に適っているそうです。
ヒンズースクワット
黒柳徹子さんは、『徹子の部屋』でジャイアント馬場さんに伝授してもらったヒンズースクワットを毎日続けているそうです。
「それを毎日50回続けたら、100歳まで舞台に出られますよと馬場さんがおっしゃったから、その日から今日まで私、1日も休んだことはないんです」とのこと。
いやいや。徹子さん。50回スクワットするだけでも辛いですよ!
それを毎日欠かさず20年以上…お元気なはずです!
世間の声
まとめ
今回は黒柳徹子さんの若い頃について迫ってみました。
まとめると下記になります。
- 幼少期には問題児扱いされていた
- 1953年、テレビ女優第1号としてデビューしていた
- 1971年からニューヨークに留学していた
- 1976年に『徹子の部屋』の司会に抜擢された
- 30代半ばに一度やったロングヘアーが美しすぎた
- Instagramにアップした黒猫のコスプレが素敵すぎた
- アラン・ドロンに口説かれた
- 40年間、ワイセンベルグと遠距離恋愛していた
- 普段はノーブラで過ごしている
- 睡眠法は「二度寝」
- ヒンズースクワットを20年以上続けている
現在も多方面で活躍している黒柳徹子さん。
これからも元気な姿を見せ続けてくれることを期待しています。