森鴎外の子供の名前が於菟、不律、杏奴などで特殊すぎてwww

イマドキの「キラキラネーム」について、みなさんどう思われますか?

「可愛いから良いのでは?」という意見もあれば、「読み辛いしどうなの」という意見まで様々あると思います。

しかし、明治時代の数々の名作を執筆された森鴎外の子供も、かなり特殊なキラキラネームであったこと、知っていましたか?

今回はその森鴎外の子供について調べたのでご紹介したいと思います。

家系図

森鴎外は、先妻・登志子と結婚してましたが、1年半で離婚しました。

森登志子との間には於菟がいます。

2年後、後妻・志げと結婚され、志げとの間に茉莉・杏奴・不律・類を授かりました。

 

子供の名前がキラキラネームな理由


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子供の名前がキラキラネームの理由は、自身のドイツ留学経験から、子供には世界に通用する名前を付けたいという考えからくるものだそうです。

 

森鴎外の本名は、森 林太郎(もり りんたろう)です。

作家以外に、軍医としても活躍しており、衛生制度を調べるため、ドイツへの留学もしていました。

その際、この「林太郎」という名前は、外国人には発音しにくい名前で、苦労したそうです。

「子供には苦労して欲しくない」という親心、素敵ですよね。

 

 

子供たちの詳細

キラキラネームが付けられた森鴎外の子供たちは、どのような活躍を残されたのでしょうか。

 

長男:於菟


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於菟(おと)は1人目の子供で、日本の医学者として活躍されました。

生まれてまもなく両親が離婚し、5歳までは歌人・平野万里の実家に預けられました。

その後、森家に引き取られ、祖母によって森鴎外と同じように厳しい教育を受け、12歳の時に義母の志げと一緒に暮らすようになりましたが、冷たく扱われていたんだそうです。

 

於菟は、父親と同じ医学者となり、台湾大学医学部教授・医学部長などを歴任し、解剖学の専門書を随筆した他、兄弟の中で初めて父・森鴎外の回想記を随筆しました。

辛い幼少期を過ごしていたのにも関わらず、医学者として素晴らしい活躍を残されました。

 

次男:不律

不律(ふりつ)は4人目の子供で、生後半年で亡くなっています。

 

『高瀬舟』という小説をご存知でしょうか。

不律は重い百日咳で苦しみ、森鴎外の母親が医師に頼んで安楽死させたと言われています。

森鴎外も軍医として働いていたので、百日咳については分かっていたはずなので、相当苦しい思いをしたに違いありません。

森鴎外はその体験をもとにして、安楽死についての名作『高瀬舟』を記しました。

 

三男:類


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末っ子である三男の類(るい)は美術講師・随筆家として活躍されました。

画家を志し、姉と一緒にパリに留学し、帰国後も美術講師として働きました。

 

その後、森鴎外一家のことを書いた『鴎外の子供たち』を発表しましたが、赤裸々に描きすぎて兄姉が激怒し、疎遠になってしまいました。

現在、文庫本で販売されているようなので、興味があるかたは読んでみてはどうでしょうか。

 

長女:茉莉


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茉莉(まり)は2人目の子供で、独特の感性を持つエッセイストとして、晩年まで活躍しました。

森鴎外からは溺愛され、16歳まで鴎外の膝の上に座っていたほど、親子仲がすごくよかったそうです。

 

『恋人たちの森』などの小説で活躍され、『ドッキリチャンネル』は心臓発作で入院して打ち切りになるまで書き続けていました。

日本の女優・司会者として有名な黒柳徹子さんと仲が良く、Instagramで思い出を語っていました。


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茉莉は生活能力が低く「子供がそのまま大きくなったような人」と評されていました。

その為、家にお邪魔したら部屋の中は新聞紙と雑誌と紙屑でいっぱい!だったけど、その状況の中でふたりでコーラを半分こして2分だけの予定が、4時間語り合ったんだとか。

ふたりの仲の良さを感じ、ちょっとほっこりします!

 

次女:杏奴


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杏奴(あんぬ)は3人目の子供で、随筆家として活躍しました。

長男の於菟の次に父・森鴎外の回想記『晩年の父』を執筆しました。

平成10年に杏奴は亡くなったのですが、杏奴の遺品には、鴎外の書簡100余通が発見されたと報じられました。

このことから、父・森鴎外の研究は兄弟のうちでは1番していたのではないか?と言われています。

 

 

孫たちの詳細

森鴎外は孫の名前も世界に通用する名前として、珍しい名前を名付けました。

長男・於菟の子供は5人いて、真章(まくす)、富(とむ)、礼於(れお)、樊須(はんす)、常治といいます。

その中で、真章と富の2人は鴎外が名付けたそうです。

 

また、孫も学問に励み、医師や学者の道に進みました。

子供だけではなく孫たちも同じ道に進み、活躍し続けていることが分かりますね。

 

世間の声


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まとめ

森鴎外の子孫がキラキラネームな理由や、活躍についてご紹介しました。

  • キラキラネームの理由は、世界に通用する名前にしたかったから
  • 於菟(おと)は日本の医学者として活躍した
  • 不律(ふりつ)は百日咳で苦しみ、医師に頼んで安楽死させた
  • 類(るい)は美術講師・随筆家として活躍した
  • 茉莉(まり)はエッセイストとして活躍した
  • 杏奴(あんぬ)は父・鴎外の研究を兄弟のうちでは1番しており、随筆家として活躍
  • 森鴎外は孫の名前にも珍しい名前を名付けた

 

子供の名前を初めて聞いたときは、なんて読むんだろう…?と驚きましたが、自分の苦労の経験から、世界に通用する名前にしたかったから、という理由はやさしさを感じますね。

また、子供達だけではなく、子孫も学問に励んでいるところも素晴らしく思います。

これからも森鴎外の血筋を絶やさず、活躍していってほしいですね。

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