織田裕二の若い頃の性格はゴリゴリで嫌われていた?

俳優で歌手の織田裕二さん。

織田裕二さんと言えば「熱い男!」というイメージですよね。

大学時代に俳優デビューし、現在は俳優・歌手だけでなくキャスターとしてもご活躍中です。

今回は、織田裕二さんの若い頃の性格はゴリゴリで嫌われていたのか迫ります。

若い頃から時代の流れを追ってみた!


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織田裕二さんは、1967年12月13日生まれ神奈川県出身です。

年を重ねるごとに、渋くダンディで魅力的ですよね。

 

幼いころから、ゴリゴリの性格だったのでしょうか?

ここでは、織田裕二さんの若い頃からの時代の流れを追ってみます。

 

桐蔭学園小学校時代


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織田裕二さんは4人家族、2人兄弟の末っ子です。

幼少期の夢は、漁師や宇宙飛行士だったそうで芸能界に興味があったというわけではないようです。

 

小学校から高校までエスカレーター式の学校、私立桐蔭学園に入学しました。

幼いころから運動神経が良く、小学校時代は地元野球チームに在籍。

野球に打ち込む野球少年でした。

 

すでにこの頃から、気が強く売られた喧嘩は必ず買っていたという噂があります。

ゴリゴリの性格は、すでに小学生時代からあったのかもしれません。

 

桐蔭学園中等教育学校・男子部時代


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織田裕二さんが在籍していた桐蔭学園中学校は、男子部と女子部にエリアを分け男女それぞれの良さを活かす環境を提供されています。

 

中学校時代は、テニス部に所属しストイックに練習していたとされています。

かなりテニスがお好きだったようです。

 

何事にも、全力投球だったという事が分かりますよね。

 

 

桐蔭学園高等学校時代


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エスカレーター式の学校のため、桐蔭学園高等学校を卒業しています。

高校生になってからも、テニス部を続けていました。

 

テニスに打ち込むあまり、高校1年生の時に膝を故障。

医師からは「このままテニスを続ければ歩けなくなる」と言われ、テニス部を退部する事になったのです。

 

365日テニスをし友人はテニス仲間、行きつけの店はテニスショップだったと織田裕二さん自身のエッセイで語られています。

また、テニスを膝の故障でできなくなった際は一時期「自殺」をも考えた事があったそう。

 

テニス部を退部し途方に暮れ、パチンコ屋に行き落ちていたパチンコ玉でパチンコ・麻雀・ビリヤードをしていたと噂があります。

しかし、高校1年生のためパチンコやビリヤード、麻雀を本当にしていたか真実は分かりません。

 

他にも、テニス部の仲間の態度が急に冷たくなったと感じていたけれど実は気を遣ってそっとしておいてくれたことが分かった等のエピソードがあります。

 

多感な時期に、打ち込んできたものまで奪われた少年の心は壊れる寸前だったのかもしれません。

織田裕二さんのテニスに対する思いが痛い程伝わってきますよね。

 

何事にも全力投球の織田裕二さんは、落ち込んだままではありませんでした。

「このままではだめだ」と自信を奮い立たせたのです。

 

そして「Deps」というバンドが誕生します。

バンド「Deps」では、ギターを担当。

 

バンド名は、織田裕二さん自身のファンクラブの名称にもなっています。

高校生の時に立ち上げたバンド名を、自身のファンクラブの名称にするなんてカッコイイですよね!

 

ピッツバーグ大学日本校時代


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1986年ピッツバーグ大学日本校に入学しました。

当時、外国の大学が日本校を設立することが相次いだようです。

 

せっかくピッツバーグ大学日本校に入学しましたが、俳優を目指したことがキッカケとなり大学中退しました。

大学をいつ中退したのか時期は、公表されていません。

 

日本にいながら、外国大学に入学できると話題になったようですが日本にある大学と違っていたのです。

  • 無認可
  • 無認可のため学位は認められない
  • 授業料が高額

このことから、外国大学の日本校は衰退していきピッツバーグ大学日本校も廃校になっています。

 

『東京ラブストーリー』時代


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1991年1月から放送されたフジテレビドラマ『東京ラブストーリー』。

紫門ふみさんの同盟漫画を原作とするドラマです。

 

女優・鈴木保奈美さんが演じるヒロイン赤名リカの「カーンチ」が有名ですよね!

ピュアで、見ているこちらが照れてしまうようなストーリーが人気となりました。

最高視聴率32.3%を超えたとも言われています。

 

大ヒットとなり、織田裕二さんもきっと嬉しかったハズと思いきや実際は違っていました。

一時期、織田裕二さんの所属事務所からは「織田さんの前で東京ラブストーリーの話は禁止」とされていたそうです。

 

織田裕二さんが『東京ラブストーリー』大ヒットを心から喜べない理由を以下にまとめてみました。

  • 自身が思い描いていたカンチのキャラクターと後半のドラマ展開のギャップに悩んでいた
  • ギャップに悩んだ結果、途中放棄と言えるまで演技的に失敗した
  • カンチ役は元々、織田さん以外の俳優・緒方直人さんがキャスティングされていた
  • 優柔不断なカンチを織田さんが毛嫌いしていた

 

様々な葛藤の中で、出来上がったドラマですが織田裕二さんにとっては「黒歴史ドラマ」となってしまったのでしょう。

何事にも妥協を許さない織田裕二さんだからこそ、思い出したくなかったのかもしれません。

 

所属事務所からは禁句とされていた『東京ラブストーリー」ですが、2016年10月放送の『ぴったんこカン☆カン』に出演。

『東京ラブストーリー』のロケ地である中華料理店「天竺屋台」を訪れます。

 

訪れた先で、織田裕二さんはカンチ・安住紳一郎アナウンサーは赤名リカになりきり当時を再現。

再現中、織田裕二さんは終始笑顔だったようです。

 

放送から、25年の時を経て様々な経験を通して『東京ラブストーリー』が黒歴史ドラマではなく若い頃の思い出に変わった瞬間だったのかもしれません。

 

2016年、『東京ラブストーリー』の25年後を描いた作品『東京ラブストーリーAfter25years」が女性週刊誌『女性セブン』で連載されています。

 

2020年には、『東京ラブストーリー』が29年ぶりに現代版としてフジテレビFODで配信されました。

 

『東京ラブストーリー』を知らない世代の俳優さん達が演じることに、時代の流れを感じてしまいますよね。

 

 

『振り返れば奴がいる』時代


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1993年1月から放送されたフジテレビ系ドラマ『振り返れば奴がいる』では、主役司馬江太郎に抜擢。

平均視聴率16.8%、最終回においては視聴率22.7%と大ヒットしました。

 

織田裕二さん演じる司馬江太郎は卓越した技術を持つ外科医で明るい性格だった。

しかし、大学病院時代研究室の担当教授が犯した手術ミスを肩代わりしたことから性格が一変。

冷酷で、人を見下すようになったという経緯になっています。

 

この『振り返れば奴がいる』は、三谷幸喜さんのゴールデンタイム初の連続ドラマ作品でした。

ここで、織田裕二さんのゴリゴリな性格が出たのか彼の意向でシナリオが現場でどんどん変更される事態になりました。

 

そして、最終回のラストシーンもあと2シーンでクランクアップと言うときに織田裕二さんが「こんな悪人が生き残っちゃっていいの?」と言い出したそう。

 

最終的には、最終回出演の若松節朗さんに「刺されて死にたい」と申し出をしました。

この申し出に、すでにクランクアップしていた平賀友一訳の西村正彦さんを呼び出し話し合う事態に発展。

 

話し合いの結果、織田裕二さんの申し出た通りにシナリオが変更されたのです。

この急な脚本変更に三谷幸喜さんは、「とても良いラストになったので感謝しているが、もうちょっと早く言って欲しかった」という趣旨の事をこぼしていたとか。

 

大ヒットの裏には織田裕二さんの作品にかける熱い思いと、熱い思いにこたえようとする脚本家の思いがこもっていたことが分かります。

 

『踊る大捜査線』時代


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織田裕二さんと言えば『踊る大捜査線』の青島俊作巡査間ですよね!

1997年1月からフジテレビ系ドラマとして放送されました。

 

平均視聴率18.2%、最高視聴率23.1を記録し、こちらのドラマも大ヒットします。

映画化までされた大ヒットどら目ですが、放映当初は決して高視聴率とは言えなかったようです。

 

ドラマの回を重ねるごとに視聴率が上昇していきます。

そこで、プロデューサーの亀山さんが上司に対し「最終回の視聴率が20%超えたら映画化して良い」と約束を取り付けました。

 

約束通り、最終回視聴率が20%超えたことを受け映画化が実現しました。

  • 1998年10月31日公開『踊る大捜査線THE MOVIE~湾岸署史上最悪の3日間!』
  • 2003年7月19日公開『踊る大捜査線THE MOVIE 2レインボーブリッジを封鎖せよ』
  • 2010年7月3日公開『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』
  • 2012年9月7日公開『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』

 

『踊る大捜査線THE MOVIE~湾岸署史上最悪の3日間!』は、興行収入101億円・観客動員数700万人とメガヒット。

 

『踊る大捜査線THE MOVIE 2レインボーブリッジを封鎖せよ』に至っては、興行収入173.5億円・観客動員数1260万人を記録『踊る大捜査線THE MOVIE~湾岸署史上最悪の3日間!』を上回るヒットとなりました。

 

ここで一つ。

共演した俳優・柳葉敏郎さんと織田裕二さんの不仲説があります。

 

織田裕二さんが、青島俊作役に入り込むあまり俳優・柳葉敏郎さんに多くの注文を付けていたというのは有名な話。

俳優・柳葉敏郎さん自身、室井慎次役を模索しながら演じており最初は我慢していたそうです。

しかし、我慢の限界に達した柳葉敏郎さんがスタッフに対して思いを爆発させたという噂があります。

 

柳葉敏郎さんとの不仲説が噂される中、2012年シリーズ完結となる『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』が公開。

公開前に、織田裕二さんと柳葉敏郎さんお2人の対談が行われました。

 

対談では、織田裕二さんも柳葉敏郎さんも互いにたたえ合う会を交わしています。

このことから「不仲」というのは、互いの俳優としてのプロ意識の高さがそうさせたのだと推測されます。

 

2022年現在はイケシブ状態


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数多くのドラマや映画に出演し活躍中の織田裕二さん。

年を重ねるごとに、カッコよさはそのままに渋さも加わり「ザ!イケシブ」と言った感じですよね。

 

2020年4月に放送されたフジテレビ系ドラマ『SUITS/スーツ2』では主演をつとめ、洗練された渋さが際立っていました。

若い頃のような、ゴリゴリ感は無く経験を積み上げた余裕すら感じます。

 

 

俳優を目指したきっかけ


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織田裕二さんが、俳優を目指したきっかけは高校生の時に組んだバンドがキッカケです。

高校卒業後、ピッツバーグ大学日本校に入学後芸能事務所へ入所します。

事務所を紹介したのは、織田裕二さんの知人との噂があります。

 

大学在学中に『湘南暴走族』のオーディションを受け8万人の応募者の中から主役の1人として選ばれました。

同時に、挿入歌『Boom Boom Boom』で歌手デビューも果たしました。

 

俳優デビュー後、ピッツバーグ大学日本校は退学されています。

 

若い頃はゴリゴリな性格だった


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若い頃から、いいえ幼い頃から何事に対しても打ち込む性格が影響したのか「若い頃はゴリゴリの性格で嫌われていた」とよく聞きます。

 

本当に、嫌われていたのでしょうか?

実は、若い頃の性格は横柄どったという噂があります。

 

それは、2016年9月29日に放送された『ダウンタウンDX』でのこと。

ゲストとして出演した俳優・陣内孝則さんが嫌いな俳優を聞かれ、織田裕二さんの名前を出したのです。

陣内孝則さんは「今は大好き」と前置きしたうえで、初対面の印象がかなり悪かったと語っています。

 

どうやら、陣内孝則さんが廊下を歩いていた際に向こう側からサングラスをかけた織田裕二さんが歩いてきてマネージャーさんに袖を引っ張られて初めて会釈をしてよけたそうです。

 

除け際の会釈が、顎を上に上げるような挑発するかのように見えたそうで陣内孝則さんが「頭に来た」と番組内で話していました。

 

若く先陣を切るように活躍していた時期だっただけに、鼻が高かったのかもしれませんね。

その後、しばらく後に陣内孝則さんとあったときはきちんと挨拶をして礼儀正しかったそうです。

 

 

世間の声


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まとめ

今回は、俳優で歌手の織田裕二さんの若い頃の性格はゴリゴリで嫌われていたのか迫ってきました。

以下にまとめます。

  • 小学校から高校までエスカレーター式の桐蔭学園に通っていた
  • 幼いころの夢は、宇宙飛行士・漁師だった
  • 中学時代からテニスが好きで始めるが、高校時代に膝の故障でやむなく退部
  • テニス部退部後バンドを結成
  • ピッツバーグ大学日本校に入学するが俳優デビュー後退学、理由は公開されていない。
  • 数々のドラマの主演をつとめ大ヒットとなる
  • 俳優を目指したきっかけは、知人の紹介で芸能事務所に入所したこと
  • 年を重ねるごとにカッコよさに加え渋さが加わってきている
  • 若い頃は横柄な性格と嫌われたこともあった

 

織田裕二さんの、ゴリゴリの性格は子供の頃からの何事にも一生懸命に打ち込むことから来ていると推測されます。

若い頃は、俳優業で突っ走った時期もありましたが年を重ねるごとに様々な経験をされ刺々しさが丸くなったようにも見えます。

今後も、イケシブ俳優さんとしてのご活躍が楽しみです。

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