吉田茂の家系図にまさかの人物の名前が複数あった!

戦後まもなく内閣総理大臣を務めた吉田茂。

吉田茂の家系図を見たところ、幕末〜現代までの日本の政治に関わっている人物の名前が複数あったのです。

今回は日本の政治を動かしてきた4人の人物を紹介します。

家系図

吉田茂の幕末の先祖から現代までの家系図です。

大久保利通や麻生太郎など、誰もが知る名前が目に止まりますね。

 

吉田茂の先祖たち


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吉田茂の先祖には、「大久保利通」「三島通庸」「牧野伸顕」の3名の政治家がいました。

大久保利通は明治維新の功労者として、日本史の教科書でもお馴染みですね。

三島通庸は幕末から明治、牧野信顕は明治から昭和初期にかけて活躍した政治家です。

吉田茂の3名の先祖について、詳しく見ていきましょう。

 

大久保利通


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吉田茂の妻雪子の父方の祖父、大久保利通(おおくぼ としみち)は、日本近代化の父とも呼ばれる政治家です。

 

大久保利通は、1830年9月26日に薩摩藩(鹿児島県)の下級藩士の家に生まれました。

同じく薩摩藩出身の西郷隆盛らと学問を学んでいます。

 

大久保利通は体が弱かったため武術は得意ではありませんでしたが、学問に関しては抜きん出た存在だったそうです。

成人後も西郷隆盛と行動をともにし、薩長同盟の締結など倒幕に向けた動きを進めていきました。

 

明治に入ると、大久保利通は参議と呼ばれる明治政府の重職に任命されます。

そして、版籍奉還や廃藩置県など、近代化に向けた改革を進めました。

岩倉使節団として、伊藤博文や木戸孝允らとともに欧米を視察した大久保利通は、日本初の機械製糸場である富岡製糸場の設置も行っています。

 

大久保利通は、日本の近代化に多大なる功績を残していますね。

 

三島通庸


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吉田茂の妻・雪子の母方の祖父、三島通庸(みしま みちつね)は薩摩藩士として戊辰戦争で活躍し、明治には県(現在の県知事)として地方の開発に努めました。

幕末は三島弥兵衛(やへえ)という名前でも知られています。

 

三島通庸は、1835年6月26日に薩摩藩士の家に生まれました。

新撰組も恐れたと言われている、薩摩に伝わる剣術「示現流」と「薬丸自顕流」を習得しています。

後に決闘を起こして3年間の謹慎生活を送るなど、血気盛んな人物のようですね。

戊辰戦争では、鳥羽・伏見の戦いで活躍しています。

 

東京府庁に権参事として入った三島通庸は、明治政府に出仕するようになりました。

大火災で焦土となっていた東京中心部を、煉瓦造建築によって復興します。

 

その後三島通庸は、山形、福島、栃木の県令を務めます。

山形では道路整備と公共施設の建築を中心に進めました。

山形の特産品、さくらんぼの栽培を導入したのも三島通庸の政策の一つです。

 

次に福島に赴任した三島通庸は、ここでも道路整備事業を進めていきます。

しかし、戊辰戦争で対立した旧会津藩を有する福島では思ったようにいきませんでした。

強引に計画を推し進めようとする三島通庸に対して、自由民権運動家も反発します。

三島通庸は、道路事業に反対する福島県の人々や自由民権運動家たちを徹底的に弾圧し、多くの逮捕者を出します。(福島事件

 

栃木に赴任した後も、三島通庸と自由民権運動家との対立は続きます。

福島事件の関係者を中心に、栃木や茨城の民権家も加わったグループが三島通庸の暗殺を計画します。(加波山事件

暗殺は未遂に終わり、三島通庸は塩原街道を整備しました。

 

三島通庸は、強引な手法で土木事業を進めることから「鬼県令」と呼ばれていたそうです。

しかし、地方の近代化に貢献した人物であることは間違いないでしょう。

 

 

牧野伸顕


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吉田茂の妻・雪子の父、牧野伸顕(まきの のぶあき)は外交官や政治家として活躍し、昭和天皇からの信頼が厚かった人物です。

 

牧野伸顕は、1861年に大久保一蔵(後の大久保利通)と妻の間に生まれました

生まれてまもなく、大久保利通の義理の従兄弟である牧野吉之丞の養子となります。

しかし、牧野吉之丞が戊辰戦争で戦死してしまい、苗字は牧野のままで大久保家で育てられました。

 

明治に入り、大久保利通らとともに岩倉使節団として渡米します。

フィラデルフィアの中学校で学んだ後、帰国し開成学校(後の東京帝国大学)に入学、その後東京大学を中退して外務省に入省します。

ロンドンに赴任した際には、伊藤博文と知り合います。

 

牧野伸顕は文部大臣を務めた際に、外交官時代の功績によって男爵を授けられています。

後に、農商務大臣、外務大臣も務めています。

 

1919年、牧野伸顕は第一次世界大戦後のパリ講和会議に次席全権大使として参加し、人種的差別撤廃提案を行いました。

その論功行賞により男爵から子爵へと爵位が上がり、同時に旭日桐花大綬章を授けられます。

 

1925年に内大臣に就任すると伯爵となり、10年間内大臣として務めました。

昭和天皇からの信頼も厚く、牧野が退任する際は昭和天皇が涙したと言われています。

 

牧野伸顕は、相手の話をよく聞き、自分と違った意見も受け入れることができる柔軟な性格だったそうです。

昭和天皇を始めとして、とても人望があった人物のようですね。

 

吉田茂の孫:麻生太郎


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麻生太郎は、吉田茂の孫にあたります。

 

1940年9月20日、麻生太賀吉と吉田茂の娘・和子の間に生まれました。

父の麻生太賀吉は福岡の実業家で、ロンドン滞在中に吉田茂の三女・和子と知り合い結婚します。

2人とも結婚前からカトリック信徒で、息子である麻生太郎も「フランシスコ」という洗礼名を持つカトリック信徒です。

 

学習院初等科から大学を卒業した麻生太郎は、海外留学後に実家の麻生産業に入社します。

グループ会社の社長を務めながら、1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表として出場しました。

 

1979年の第35回衆議院議員総選挙にて初当選し、政界入りしました。

1996年には、第2次橋本内閣にて経済企画庁長官に就任して、初入閣となりました。

その後、何度も自民党総裁選に立候補しますが敗れ、4度目の2008年に自民党総裁に就任し、第92代内閣総理大臣となりました。

しかし、内閣総理大臣就任1年後の第45回衆議院議員総選挙にて自民党が惨敗し、退陣することになります。

 

2012年の第46回衆議院議員総選挙にて自民党が政権を奪還すると、麻生太郎は副総理兼財務大臣として再入閣しました。

2021年の岸田内閣発足に伴い副総理と財務大臣を退任しますが、財務大臣としての在任期間は8年9ヶ月で戦後最長となります。

 

81歳(2022年時点)でありながら、現在も自民党副総裁として、現役の政治家である麻生太郎。

これからも活躍していただきたいですね。

 

 

世間の声


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まとめ

吉田茂の家系図に名前がある4名の政治家についてまとめました。

  • 大久保利通は吉田茂の妻の父方の祖父で、日本近代化の父と呼ばれた政治家
  • 三島通庸は吉田茂の妻の母方の祖父で、県令として地方の近代化に取り組んだ政治家
  • 牧野伸顕は吉田茂の妻の父で、外交官や政治家として活躍し、内大臣時代は昭和天皇から厚い信頼を寄せられていた
  • 麻生太郎は吉田茂の孫で、第92代内閣総理大臣を務め、財務大臣としての在任期間は戦後最長の8年9ヶ月だった

 

過去も現在も、日本の政治を動かしている政治家の一族であることがわかりますね。

その政治の手腕がこれからも受け継がれていくことに期待しましょう。

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