夏目漱石は旧千円札に描かれるほどの人物であり、『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』などの著者でもあります。
学生時代に教科書で見たことがある人もいるのではないでしょうか?
そんな夏目漱石の脳が東京大学の医学部に保管されているのです。
今回は夏目漱石の脳保存の事実について探っていきたいと思います。
目次
脳を保存することになったワケ
小説家・日本の教師・評論家・英文学者・俳人として活躍していた夏目漱石。
彼の死後なぜ脳保存をすることになったのか。
その経緯について迫っていきます。
妻の指示により解剖決定
夏目漱石の死後、脳の解剖解剖を指示したのは妻の鏡子夫人でした。
鏡子夫人は夏目漱石の亡くなった後に、東京大学医学部に脳の解剖を依頼しました。
これには末娘の死と深く関係があり、解剖は夏目漱石の願いでもあったからこそ鏡子夫人が依頼したのです。
娘・雛子の突然死の影響
夏目漱石は末娘の雛子が1歳の頃に原因不明で亡くなったことに対して、死因を追求しないままにしたことを後悔していました。
このことが夏目漱石の脳保存に影響を与えることになったのです。
ちなみに、夏目漱石には7人の子供がおり、2男5女でした。
また、夏目漱石自身が疾患に悩まされていたこともあり、自分が亡くなった場合に解剖して死亡の原因や病気について調べてもらうことで、「今後の医学に役立ててもらいたい」という気持ちがあったと言われています。
その結果、鏡子夫人も漱石の遺志を汲み、解剖を依頼することにしました。
解剖から保存までの流れ
夏目漱石の死後、どのように解剖から保存まで至ったのでしょうか。
死亡後の夏目漱石について深く迫っていきます。
亡くなった翌日に解剖・摘出
夏目漱石は、1916年12月9日(当時49歳)に自宅で腹部体内出血を起こし亡くなりました。
実は、以前から胃潰瘍を患っており、胃潰瘍で倒れた際には糖尿病にも罹患していて元々病気がちだったそうです。
夏目漱石の死亡した翌日の1916年12月10日に東京大学医学部解剖室において解剖されており、脳と胃が摘出されています。
解剖は夏目漱石の主治医であった東京大学医学部教授の長与又郎医師がしました。
解剖後は自宅に送られ、今でも東京都豊島区南池袋の雑司ヶ丘霊園のお墓で眠っています。
東京大学医学部に保存
解剖後に摘出された脳は、夏目漱石の出身大学でもある東京大学医学部へ寄贈されました。
現在もホルマリン漬けにされた状態で、東京大学医学部に保存されています。
1度くらい見に来たいとと思うところですが、残念ながら一般の方は見ることができないそうです。
胃も保存された
解剖時に脳だけでなく胃も摘出されました。
胃も脳と同じく、東京大学医学部に寄贈されています。
他の有名人も多数保存されている
東京大学医学部には他の有名人の脳も多数保存されています。
これは当時の病理学教授の長与又郎が「傑出人の脳コレクション」として保存したと言われています。
主な有名人の脳保存一覧は下記の通りです。
- 横山大観(日本画家)
- 平賀 譲(海軍造船中将・東京帝大工学部教授。戦艦「大和」の設計者)
- 中谷宇吉郎(物理学者・随筆家。人工雪の作製に世界で初めて成功)
- 斎藤茂吉(アララギ派の歌人・精神科医)
- 浜口雄幸(第27代内閣総理大臣。昭和5年、東京駅構内にて狙撃さる。翌年死亡)
- 内村鑑三(キリスト教思想家)
- 桂 太郎(元長州藩士・陸軍大将・第11代内閣総理大臣)
夏目漱石の脳の解析結果
夏目漱石の脳を解析してみてその結果はどうだったのでしょうか?
ここから解析結果について詳しくみていきましょう。
前頭葉が一般人よりも発達していた
夏目漱石の脳の大きさは、一般人の平均より少し大きいくらいでした。
しかし、前頭葉が一般人より著しく発達していたそうです。
前頭葉は、長期記憶を保持する重要な役割や周りのあらゆる情報から物事を考え、適切な行動を行うことに関与するなどの役割があります。
夏目漱石が天才と言われているのにも何か関係があるのかもしれませんね。
桂太郎よりも軽かった
夏目漱石の脳は、桂太郎より軽いということも分かっています。
夏目漱石の脳の重量は1,425グラムに対して、桂太郎は1,600グラムと夏目漱石の脳の方が軽いことが分かりますよね。
他にも外国人の例でいうと、ナポレオン三世が1,500グラム、ビスマルクが1,807グラムと大きい脳の持ち主であることがわかっています。
しかし、科学者のブンゼンが1,295グラム、文学者のアナトール・フランスが1,017グラムと小さな脳を持った有名人もいます。
そのため、脳の大小で賢いかどうかを判断するのは難しいことなのかもしれませんね。
『漱石の脳』という本がある
出典:https://www.koubundou.co.jp
『漱石の脳』という本が出版されています。
内容としては、東京大学医学部標本室。
ホルマリン溶液の中の夏目漱石の脳や、死の直前に三島由紀夫が彫ろうとして果たせなかった刺青などの眠れる死者について書かれています。
実は元々、病気がちだった
夏目漱石は小さい頃から病気がちで、多くの病歴があります。
主な病歴として、3歳の頃に痘瘡(とうそう)、17歳に虫垂炎、20歳でトラホーム、25歳で肺結核、神経衰弱。
そして、過去に胃潰瘍を5度経験しています。
夏目漱石の死因も、胃潰瘍による腹部の出血が原因でした。
夏目漱石は神経質な性格だったと言われており、ストレスにも過敏でした。
医療がもっと発達していた時代ならもっと長生きできたと考えれています。
世間の声
まとめ
今回は夏目漱石の脳保存の全貌についてまとめました。
記事内容をまとめると以下の通りです。
- 夏目漱石の死後、解剖を指示したのは妻の鏡子夫人
- 末娘の雛子が原因不明で亡くなってしまい、夏目漱石が自分の脳を今後の医学に役立てて欲しいという思いがあった
- 亡くなった次の日に解剖し、脳と胃を摘出
- 脳は現在も東京大学医学部にホルマリン漬けで保存されている
- 東京大学医学部には他の有名人の脳も多数保存されている
- 夏目漱石の脳は一般人の平均より少し重く、桂太郎よりも軽かった
- 夏目漱石の脳は前頭葉が著しく発達していた
- 「漱石の脳」という本が出版されている
- 小さい頃から病気がちで、5度の胃潰瘍を経験している
夏目漱石の脳保存は末娘・雛子が亡くなってしまったことがきっかけとなり、鏡子婦人の指示によって解剖されることになりました。
脳が現在までも保存されていることには驚きですよね。
今後も医学の発展のために役立っていくことでしょう。