世界中を悲しみの渦に巻き込んだジョン・レノンの死。
彼を殺害した犯人であるマーク・チャップマンは、現在も生きているのです。
どのような人物なのか、ジョン・レノンの死の真相と共に見ていきたいと思います。
目次
辛すぎる死亡事件の全貌
ビートルズや音楽家としての活動、妻のオノ・ヨーコと共に平和運動家としても活動していたジョン・レノン。
彼の死は世界中で大きな話題となりました。
死亡事件はどのように起こったのか、その全貌を見ていきましょう。
死因は出血性ショック
死因は、銃弾を撃ち込まれた事による出血性ショックでした。
大動脈弓を損傷しており、なんと全身の80%もの血液が失われていたそうです。
撃たれた5発中4発の銃弾がジョン・レノンに命中し、搬送された病院で死亡が確認されました。
事件の日時と場所
1980年12月8日22時50分頃、ニューヨークにある高級集合住宅のダコタ・ハウス前にて起こりました。
オノ・ヨーコと共に撮影スタジオから帰宅している最中の出来事で、享年は40歳という若さでした。
事件に使われた拳銃と銃弾
実際に使用されたのは、「ホローポイント弾」という銃弾です。
この銃弾は戦争での使用が禁止されている程、殺傷能力の高い銃弾です。
(警察や特殊部隊等の法的機関では使用されています)
着弾した後に弾頭が膨張炸裂する事により人体に大きなダメージを与えます。
この銃弾が4発も命中していたとなると、現場はとても悲惨な状況だったと考えられます。
事件に関するオノ・ヨーコのコメント
事件に関してオノ・ヨーコは2015年の『The Daily Beast』の取材で下記のように語っています。
事件当時は、ジョン・レノンの死亡を告げられると倒れこんで床に頭を打ち付けたという彼女。
事件から長い時間が過ぎた現在でも、当時の事が心に深い爪痕となって残っているのでしょう。
犯人:マーク・チャップマン(25歳)
犯人の名前は、「マーク・デイウィッド・チャップマン」です。
当時25歳で職業は警備員をしていました。
ハワイのホノルル在住であり、ジョン・レノンの殺害を実行する為にニューヨークへ訪れていました。
各メディアの報道によると、「ミスター・レノン?」と叫び、およそ3メートルほどの距離から銃弾を5発発砲しています。
その後警察が到着するまで、歩道上でJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』を静かに読んでおり、抵抗することなく罪を認めたようです。
動機は有名になりたかったから
チャップマンは、「自分の名前を広めるために殺害した」「ジョン・レノンを殺害する事で自分が何者かになれるはずだと思った」と語っています。
また、妻であるグロリア・ヒロコ・チャップマンさんは、「自分の名前を広めるためにジョン・レノンを殺害する計画がある」と2か月前に彼から伝えられたと明かしています。
こうした発言から、ジョン・レノンを殺害する事で有名になりたかったという動機の見方が有力となっています。
本当はジョン・レノンのファンではなかった
当時、一部報道では熱狂的なファンだったと伝えられましたが、そうではありませんでした。
チャップマンは、事件当日にアルバムをジョン・レノンへ直接手渡してサインを求めています。
一見ファンであったかのようにも思えます。
しかし、事件を起こすまでジョン・レノンのCDを1枚も所持していなかったのです。
実はこの時、チャップマンは金銭的に厳しい生活を送っており精神的に追い込まれていました。
そんな時にジョン・レノンの伝記を読み、その金満生活に異常なまでに怒り狂い殺害を計画するに至りました。
自分とは正反対の裕福な生活を送るジョン・レノンに嫉妬してしまったのでしょうか。
1億8千万円のサイン入りアルバム
チャップマンは事件当日、ラジオ収録後のジョン・レノンを待ち構えてアルバム『ダブル・ファンタジー』にサインを求めています。
当時ファンがジョン・レノンを待ち構えてサインを求める様子は珍しくなく、ジョン・レノンも「君が欲しいのはこれだけかい?」とチャップマンに直接サインを渡しました。
笑顔で頷くチャップマンの姿も当時居合わせたファンが写真に収めています。
精神的に不安定な状態だった
チャップマンは幼い頃から精神的に不安定な人物だったようです。
幼い頃に父親から暴力を受けており、「父親は自分に対して愛情を持っていなかった」と語っています。
14歳頃からは両親に反抗するようになり、ドラッグや夜遊びにも手を出すようになります。
大人になってからも精神的に不安定な状態である事が多く、自殺願望が芽生えて1度自殺未遂を起こします。
運よく助かりましたが、その後も不安定な状態が続いており、金銭面で不安を抱えている頃にジョン・レノンへの殺意が芽生え実行に至りました。
現在も刑務所で生きている
チャップマンは今も獄中で生きています。
1981年に禁固20年ないし無期懲役の判決を言い渡され、2019年には10度目となる仮釈放の申請も却下されています。
チャップマンには仮釈放が許可される可能性がある為、今後も仮釈放の申請を行うと想定されています。
しかし、オノ・ヨーコはチャップマンの仮釈放を認めない旨の手紙を仮釈放委員会へ送っており、またチャップマン自身にも反省や更生の態度が見られないことから、今後仮釈放が認められる可能性は低いと考えられます。
表には出ないブラックな暗殺説
事件の真相として様々な陰謀論が囁かれていますが、現在でも根強く語られているのが「暗殺説」です。
アメリカ政府からマークされていたという噂があるのです。
ジョン・レノンは平和主義者であり、反戦を訴えていました。
当時ソビエト連邦と冷戦状態にあったアメリカ政府は、若者への影響の大きいジョン・レノンによって反戦運動が活発化する事を恐れていました。
その為、アメリカ政府がCIAやFBIにマークさせていたのではないかと言われているのです。
殺害された翌年の1981年にジョン・レノンはアメリカ国籍の正式取得の申請を行う予定でした。
このような事から、ジョン・レノンが正式にアメリカ国籍を取得し影響力が大きくなる前に殺害されたという「暗殺説」が囁かれているのです。
ジョン・レノン事件に関する映画
ジョン・レノンの死亡事件は世間に大きな影響を与え、映画として作品となっています。
次の2作品はどちらも犯人であるチャップマン視点で描かれており、事件の真相に迫った映画です。
『ジョン・レノンを撃った男』
『ジョン・レノンを撃った男』は、チャップマンの証言を基に描かれています。
チャップマンがジョン・レノン殺害後に読んでいた『ライ麦畑でつかまえて』との関連性も描かれており、ジョン・レノンを殺害した心意や彼の心の闇に迫った作品です。
『チャプター27』
『チャプター27』は、チャップマンへ取材した『ジョン・レノンを殺した男』を基に描かれています。
チャップマンの人間性や感情等殺害に至るまでの3日間の経緯を追い、チャップマンの葛藤や混乱が描かれた作品です。
世間の声
まとめ
今回はジョン・レノン死因や事件詳細、犯人について追っていきました。
記事内容をまとめると以下の通りです。
- 死因は銃弾が撃ち込まれたことによる出血性ショック
- 死亡事件は1980年12月8日22時50分頃にダコタ・ハウス前にて起こった
- 銃弾は戦争でも禁止されている程殺傷能力の高いものだった
- 妻のオノ・ヨーコは現在も犯人を憎んでいる
- 犯人の名前は「マーク・デイヴィッド・チャップマン」
- 殺害の動機は「自分の名前を広める為」だった
- チャップマンは事件当日にジョン・レノン本人からアルバムにサインを貰っていたが、実際はファンではなかった
- チャップマンは家庭環境が良くなかった為、幼い頃から精神的に不安定だった
- ジョン・レノンは平和運動家で反戦運動をしていた為、アメリカ政府による「暗殺論」が囁かれている
- 事件の真相が映画として作品化されている
ジョン・レノンの死亡事件の全貌や犯人の動機や現在について知れたかと思います。
有名で影響力があった為に、妬みや反感を受ける事になるのはとても悲しいことです。
しかし、影響力があったからこそ、これからもジョン・レノンの曲や考えが受け継がれていくことを信じています。