金閣寺を建てた人は足利義満☆金箔で権力を誇示した!

金閣寺といえば、誰もが1度は目にした事がある、世界遺産に登録された歴史的な建物です。

京都修学旅行では、ほとんどの学生が訪れるのではないでしょうか。

今回はそんな金閣寺を建てた足利義満について解説いたします。

建てた足利義満のプロフィール


出典:https://ja.wikipedia.org

  • 名前:足利義満(あしかがよしみつ)
  • 生年月日:1358年9月25日
  • 死没:1408年5月31日
  • 改名:春王(幼名)・義満・道有(号)・道義(号)
  • 時代:室町時代前期
  • 改名:鹿苑院天山道義
  • 両親:父・足利義詮 母・紀良子
  • 妻:正室・日野業子 継室・日野康子 側室・藤原慶子 春日局 その他
  • 子:尊満・義持・義嗣・義教・法尊・虎山永隆・大覚寺義昭・梶井義承

 

足利義満とは足利15代将軍の祖父・足利尊氏、父・足利義詮に続く、足利3代将軍として有名な人物です。

足利1代将軍である足利尊氏が亡くなった年に誕生しました。

 

足利義満は誰もが知っている金閣寺と言う世界的に有名な建設物を建てた人物ということで有名です。

黄金に輝く金閣寺を建てた足利義満は、性格的には一言でいうと「優秀なわがまま三世」でしょうか。

 

足利尊氏と足利義詮が成し遂げなかった、南北朝合一を成し遂げ、足利政権を確立し、様々な建設や貿易、明など後に日本に大きな影響を与えた優秀な面を持つのが足利義満です。

しかしその反面、歴史を知る中で、節々にわがままエピソードが垣間見れます。

 

例えば、綺麗な景色をみると「この景色を我が城に持ち帰れ」と無理難題を言って、周りを困らせることが多かったようです。

しかし、そんなわがままが許されていたのは、単なる「三世」であるだけではなく「優秀な三世」であるからこそ、許されていたのではないでしょうか。

そんな足利義満の象徴ともいえる形となったものが、「金閣寺」なのです。

 

 

金閣寺の波乱万丈な歴

足利義満の建設した金閣寺には、様々な困難がありました。

世界中が驚いた金閣寺の歴史を見てみましょう。

 

完成した1399年の日本の状況

金閣寺が完成した1399年には、「応永の乱(おうえいのらん)」が起きました

応永の乱とは、有力守護・大内義弘(おおうちよしひろ)が室町幕府に対して起こした反乱のことをいいます。

これまで絶対的地位を確立してきた足利政権と大内義弘の対抗したのです。

 

きっかけは、なんと「金閣寺の建設」にありました。

足利義満はこれまで戦うことしかしてこなかった大内義弘に対して、「城作り」を命じます。

大内義弘からすると「え?なんで城作り?」と困惑と同時に自分がするべきではない命令に苛立ちも湧いてきたのです。

しかし、大内義弘の苛立ちは足利義満の計算でした。

 

足利義満は、どんどん力をつけていく大内義弘が自分の地位を脅かすかもしれないと考えるようになり、いつしか大内義弘を「邪魔者」と考えるようになりました。

そのきっかけが「金閣寺の建設」に繋がったのです

 

足利義満の3万の兵に対し、大内義弘は6千の兵で圧倒的に足利義満が有利でしたが、実は大内義弘には考えがありました

実は、足利満兼(あしかがみつかね)の兵が合流して参戦してくれるはずだったのです。

しかし、足利満兼は上杉謙信の足止めに合い、参戦を断念してしまったのでした。

 

結果は、足利義満の勝利、大内義弘は自害という最後を迎えたのです。

その後、足利義満の力は国内で最強と言われるほどになりました。

 

足利義満が住むための家として建てられた


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応永の乱のきっかけとなった金閣寺ですが、そもそも金閣寺とは足利義満が自分を最大限表現したカタチなのです。

 

金閣寺の本来の名前は「鹿園寺」であり、足利義満の別荘として「極楽浄土」を表し建設されました。

黄金に輝きを放つ金閣寺ですが、この「金箔の輝き」は足利義満が自分自身の権力を表現しているとも言われています。

そして、池は日本地図をもとに作り込んでおり、金閣寺から見下ろせるようになっていのです。

 

足利義満は自分が日本国の頂点であるという思いを込めてこの設計にしたのではないかと言われているのです。

足利義満の死後は遺言により、「寺」にするように書かれていたので、遺言に沿って屋敷ではなく、寺となったのです。

 

 

金閣寺は1950年に放火された


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実は、私たちの知っている金閣寺は、足利義満が建てた金閣寺ではないのです。

1950年に全焼してしまっていたのです。

 

当時の見習い曽呂がスプリンクラーが停止している時を狙い、犯行に及んだことがわかっています。

理由は「美しさに対する嫉妬、そして自分の環境は辛いのに金閣という美しい所に来る有閑的な人に対する反感」だったのです。

一言でいうと、「様々な嫉妬が爆発」といったところでしょうか。

 

放火により、金閣寺だけではなく、足利義満の歴史も燃えてしまったのです。

さらに国宝として登録されていた金閣寺は、この放火により国宝から外されています。

 

昭和の手仕事により再建されましたが、日本の財産を失ってしまったことは間違いないでしょう。

しかし、昭和の技術によって更なる輝きを放てるように金の厚さを変えたり工夫を凝らせ、いつまでも金閣寺で歴史を学ぶことができるのです。

これからも世界中に日本史の学びを与え続けてくれることでしょう。

 

世間の声


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まとめ

まとめると下記になります

  • 金閣寺を建てたのは「足利義満」
  • 金閣寺が建てられた時に「応永の乱」が起こっていた
  • 金閣寺は足利義満の別荘として極楽浄土を表して設計された
  • 金閣寺は1度焼失しており、今の金閣寺は昭和に建てられたものだった
  • 金閣寺放火の理由は曽呂の「嫉妬」だった

 

現代では、「京都に行くと金閣寺」と言われるほどの観光名所です。

歴史を知ってから、再度金閣寺を見てみると以前見た金閣寺とはまた、違って見えるかもしれません。

金閣寺に行った時には、ぜひこの話を思い出してみてくださいね。

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