松岡修造の家系が華麗なまでに豪華でヤバいと話題になっています。
どのようにヤバいのか、まずは家系図をご覧ください。
目次
華麗なる一族の家系図
すごい顔ぶれが並んでいます。箇条書きするだけでも以下のような感じです。
このあとそれぞれについて詳しく解説しますね。
- 松岡修造の高祖父(祖父母の祖父)、小林一三(東宝グループ創業者、宝塚歌劇団の生みの親)
- 父、松岡功(東宝名誉会長、元テニス日本代表選手、デビスカップの日本代表)
- 母、浜岡葆子(元宝塚星組男役スター千波静)
- 兄、松岡宏泰(東宝取締役)
- 姉、松岡敏子(辻調理師専門学校の校長、辻調グループの代表)の妻)
- 親戚、鳥井信治郎(サントリー元社長元会長)
ヤバすぎる家系の実態
すごいですよね。写真が出ていない方も、肩書がみっちりと並んでいます。
名前の長さを超える肩書きがぎっしり並んでいる家系図ですよね。
それでは、松岡修造の家系を、それぞれ詳しく見てみましょう。
曾祖父・小林一三(阪急阪神東宝グループの創始者)
出典:https://weblio.hs.llnwd.net/
松岡修造の家系は、創業者の家系ともいえそうです。
その中でも大きな業績を残したのがこの小林一三(いちぞう)さん。
東宝グループ(不動産業、阪急百貨店の小売業、東宝・宝塚歌劇団・阪急ブレーブスの興行業など)の創業者です。
宝塚歌劇団の生みの親はこの方だったんですね。
松岡修造はこの日本の経済界の重鎮のひ孫にあたります。
小林一三は、「俺が死んでも宝塚と阪急(ブレーブス)は売るな」と言い残していったそうで、松岡修造の娘さんも宝塚音楽学校に入学しましたが、この方がいなければできなかったということになります。
また、当時、財界の天皇と呼ばれていたとか。(実際には天皇家とのつながりはありません)
というのも、当時稀代のアイディアマンで、今では常識の、鉄道を敷いてそこに需要を作る、ということを始めた最初の人だからです。
宝塚歌劇団も、温泉地宝塚のショービジネスとして始められたそうで、それがここまで発展しているとは、一三さんもどう思っておられるでしょうか。
父・松岡功(東宝の名誉会長、デビスカップの日本代表)
出典:https://www.news-postseven.com
松岡修造のお父さんもテニスをしていました。
その腕前は、デビスカップ(テニスの国別対抗戦)の代表に選ばれるほど。
しかし、実業家の道に専念するため、トロフィーなどテニス用品一式を処分してしまいます。
そのため松岡修造は父親がテニスをしていたとは知らなかったといいます。
のちに松岡修造がプロに転向する際、猛反対をしますが、実業家になってほしかったのか、あるいは、自分ができなかったことへの羨みもあったのかもしれませんね。
それにもめげず、松岡修造は渡米して現地でスポンサーを見つけ、努力して実家の援助なくしてウィンブルドンベスト8まで勝ち進みます。
血は争えないといいますが、本当ですね。
母・浜岡葆子(しげこ/静子から改名?元宝塚歌劇団星組男役:千波静)
松岡修造の家系はタカラジェンヌがたくさんいることでも有名です。
松岡修造の母親は3姉妹で、3姉妹ともタカラジェンヌ、いとこも千波ゆうというタカラジェンヌだそうです。千波静さんは男役の方で、「すっきりとした男役」との評がありました。
1962年に退団しています。
兄・松岡宏泰(東宝の社長)
系図の隣にやっと来ましたね。これまたすごいんです。
松岡修造の兄は日本人なら知らない人のいない思われる映画配給会社、東宝の社長です。
イタリア生まれで、慶応大学から米国へ留学し、ピッツバーグ大学院を修了しています。華麗な経歴ですね。
温和な人柄で知られ、社内の人望も厚いとのことです。
松岡修造との兄弟での対談が雑誌に掲載されたこともあるそうです。
学生時代はお兄さんも松岡修造よりテニススキルの評価は高かったほどのテニス生活を送っていたようです。
姉・松岡敏子(辻調理師専門学校の校長・辻芳樹さんの妻)
松岡修造がテニスに興味を持つようになったといわれているのは姉・敏子さんの影響といわれています。
そんな3つ年上のお姉さんは、調理師学校として有名な辻調理師専門学校の校長、辻調グループの会長でもある辻芳樹さんの妻になっています。
シェフやパティシエを輩出し、料理界の東大といわれる辻調グループ会長の妻である松岡修造のお姉さんも、やはり華麗なる経歴の持ち主でした。
親戚・鳥井信治郎(サントリーの創始者)
「やってみなはれ」のセリフとともにテレビでご覧になった方も多いと思われるこの方。
NHK 朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルとしても知られていますが、この方こそチャレンジスピリットに満ち溢れたサントリーの創業者です。
丁稚奉公から独立して「酸っぱい」と日本人受けしなかったワインを、日本人の口に合うワインを作ったる、と赤玉ポートワインを発売し、人気を博します。
その後、日本では無理と言われた国産ウイスキーを醸造、開発し、洋酒ブームに乗って好調な業績を残した方です。
また、広告宣伝の大切さにも早くから目を向け、ヌードポスターなどで話題をさらった方でもあります。
「やってみなはれ」とは、実現に向けた覚悟の本気さを問いかける言葉だったそうです。ここでも困難な道を突き進むフロンティア・スピリットあふれる実業家の精神が垣間見えます。
さすが松岡修造の家系に連なる人、といったところでしょうか。
世間の声
まとめ
松岡修造の家系は、開拓者精神にあふれた実業家とタカラジェンヌに大別することができました。
「松岡さんを突き動かすものは?」という質問に、松岡修造はこう答えています。
「宝塚の血っていうのが、多分、僕はあると思うんですね。ミュージカルも好きですしね。観るパフォーマンスが好きなんですよ」
おそらく、それだけでなく、無謀とも思える挑戦にも挑むことができるスピリットも、松岡修造に影響を与えていると思われます。
超が付くほどの御曹司の松岡修造の家系は、華やかなだけではなく、すばらしい実業家精神に裏打ちされた「華麗なる一族」ということができるでしょう。