タモリさんこと森田一義さん。
国民的タレントで日本人なら知らない人はいないのではないでしょうか?
そのタモリさんのトレードマークといえば、サングラスですね。
テレビでは常にサングラスをかけているので、どうしてもサングラスの下が気になってしまいます。
なぜタモリさんはサングラスをかけるようになったのか、またどんな素顔をしているのか、今回は、タモリさんがサングラスをかけた理由とその変遷について調べてみました!
目次
説1:顔にインパクトがない
タモリさんとも親交の深い、高平哲郎(たかひら てつお)さんご存じでしょうか?
高平哲郎さんは、放送作家で日本のテレビ界を牽引した人物といっても過言ではありません。
実はこの方が、タモリに「特徴のない顔だ」と言ったのがタモリがサングラスをかけるきっかけになったそうです。
高平氏が、レイバンのサングラスをタモリに勧めたことをきっかけに、以降、サングラスはタモリさんのトレードマークになりました。
堺正章に「失礼だ」と言われたエピソード
タレントの境正章(さかい まさあき)さんは、タモリさんとも同じ事務所でタモリさんの先輩にあたります。
そんな境正章さんのところに、まだデビュー前のタモリさんが芸を見せに来た際のエピソードがトーク番組で、境正章さん本人から語られていました。
なんと、境正章さんは芸を見せに来たタモリさんがサングラスをしているのを不満に思い『先輩の前で芸やるとき、サングラスぐらい取れよ!』と説教したとのことです。
『生意気なやつだ』と思った、とも同番組で言っていました。
当時デビュー前のタモリさんの芸をみて境正章さんは、売れるわけがないと福岡出身のタモリさんに『九州に帰ったほうがいいんじゃないか』と本気でダメ出しをしたそうです。
その後、偶然にも境が所属する田辺エージェンシーにタモリが入ることとなり、どんどん売れっ子になっていったと話しています。
タモリさんが日本の『お笑いBIG3』といわれるほどの芸能人になったが故の笑い話です。
(お笑いBIG3・・・ビートたけし、明石家さんま、タモリ)
説2:電柱の針金で右目を失明した
『週刊明星(78年1月29日号)』の記事によると、タモリさんへの取材で自ら右目は失明したとい語っていました。
小学3年生のとき、電柱の針金が右目に突き刺さり失明したそうです。
何とも痛々しいエピソードですが、そんなショッキングな出来事にもめげずに脚本を書いたりスポーツや音楽をしたりと非常に多趣味の少年時代でした。
さらには、キリスト教に興味もないのに宣教師の動きや喋りが面白いという何とも不純な動機で地元の教会に通ったという話もあります。
後に、あの長寿番組『笑っていいとも!』の特大号で、『来日3年目の外国人牧師』というモノマネを披露していますが、少年時代に観察していた宣教師をモデルにしているとのことでした。
(そして、当時の関係者からいわせれば非常に似ていたそうです)
少年時代のさまざまな経験が、芸能人になった後も活かされているのですね!
失明とサングラスが関係ない理由
一部、タモリがサングラスなのは目が失明しコンプレックスがあるからだ、という噂があるようですが、それは違うといえるでしょう。
理由は2つあります。
理由①過去に素顔のまま活動していたから
タモリさんのイメージと言えばサングラスですが、実はデビュー当時はサングラスをかけていませんでした!
素顔で活動したり、色のついていない眼鏡で活動していた時期もあります。
1990年にTBS系列で放送されたの『自主退学』というドラマをご存じでしょうか?
都内の高校を舞台に、暴力・いじめ・事件など様々な問題を抱える生徒たちに対して、学校側による強制的な生徒の退学を描いたフィクションのシリアスな学園ドラマです。
このドラマの主演はタモリさんで、共演に松崎しげるさんもいました。
そして、このドラマの中でタモリさんは、色のついていない眼鏡で出演しています。
理由②サングラスから目が見えるから
タモリさんがサングラスを付けていてもテレビ越しでもサングラスから目が透けて見えることがよくあると思いませんか?
一見真っ黒に見えるサングラスですが、光の当たり方によっては簡単に目が透けて見えます。
仮に、失明したことで目にコンプレックスを抱えているのであれば、透けないようなサングラスをかけるはずですよね。
この点からも、失明とサングラスの関連性は低そうです。
説3:目の病気
タモリさんと言えば伝説的な長寿番組だった『笑っていいとも!』があります。
月曜から金曜まで毎日の司会をタモリさんが務めた、言わずと知れたお昼の生放送番組です。
番組は1982年10月4日放送開始以来32年続き、毎日生放送の司会をしていたタモリさんは鉄人とも呼ばれています。
2014年には生放送単独司会世界記録を更新したとギネスブックにも認定されました。
お昼休みは『笑っていいとも!』を見るのがたくさんの人の習慣だったのではないでしょうか?
タモリさんは司会として毎日出演していたわけですが、実は番組を休んだことがあります。
そのうちの、ひとつが2009年7月13日から17日の白内障の手術のためでした。
白内障は、目の中のレンズの役割をしている水晶体が白く濁ってくる病気ですが、主な原因は加齢といわれています。
目に関する手術が行われたため、目の病気でサングラスをしている説が浮上したと思われます。
しかし、ご存じの通りサングラスはその前からずっとかけているので、目の病気のためというのは辻褄が合いません。
タモリ愛用のサングラス
タモリさんが愛用しているサングラスは『レイバン』というブランドのものといわれています。
1980年代から90年代はレイバン Aviatorを愛用し、現在は同ブランドのRB4181を愛用しているそうです。
RB4181はレバノン公式サイトで販売価格22,330円となっています。
他のオンラインショップでは1万円台でも購入できるかもしれません。
興味のある方は、タモリさんのサングラスといわれているモデルを是非手に取ってみてください。
タモリの外見遍歴
タモリさんの外見遍歴は、サングラスなし→アイパッチ→サングラス となっています。
80年代後半からサングラス姿が定着し、それ以外のすがたを見ることは無くなりました。
サングラスなし時代の画像
眼鏡もアイパッチも何もしてない状態のまさに素顔のタモリさん。
貴重な写真で、カラー写真で素顔を確認できたのはこのときだけかもしれません。
右目は失明していますが、左目もかなりの近眼のため眼鏡をしないとあまりはっきり見えていないそうです。
赤塚不二夫さんのマンションに居候しながら芸を磨いていた当時の写真で『タモリ一義(恐怖の密室芸人)』と紹介されています。
こちらはすでにサングラスがトレードマークに定着した後のタモリさんですがサングラスを挙げた瞬間に素顔をのぞかせた貴重な一枚です。
やはりみんな、サングラスの下のお顔が気になりますよね…。
アイパッチ着用時代の画像
赤塚不二夫さんや放送作家の高平哲郎さんと知り合い、芸能界への人脈を広げていきました。
その中で、サイレント映画の大スター・ルドルフ・バレンチノ風にスタイリングしたアイパッチ姿をトレードマークとする案が出たそうです。
そして、徐々にキャラクターが作り込まれていったといわれています。
1970年代から80年代はアイパッチ姿でよく活動していたタモリさんですが、右目が見えないだけでなく左目も実はかなりの近視だったため眼鏡をかけずにアイパッチをしているときはほとんど見えてない、と本人が週刊誌に語っていました。
1976年のデビュー直後のタモリさんです。
テレビ番組では下ネタも多めにデタラメの中国語講座など終始会場を笑わせていたようです!
1977年に発売されたタモリさんのファーストアルバム『TAMORI』。
疑似放送番組を模した構成で、高度でコアなギャグを中心に音楽への深い造詣も垣間見れるアルバムだそうです。
1981年に発売されたのは『タモリのワークソング』で、このときもアイパッチ姿です。
こちらの曲、歌詞はかなり独特ですが音楽自体はジャズ調の軽やかな曲で非常に楽しい、聞いていて癖になる曲です。
普段テレビで見るタモリさんは司会がメインなのであまりイメージなかったのですが、本当に音楽の才能にもあふれる方なのですね。
Youtubeなどでも聞けるので、興味がある方はぜひ聞いてみてください!
サングラス着用時代の画像
1984年『日本放送演芸大賞』を受賞した若き日のタモリさん。
サングラスの影響か約30年前にもかかわらず、大きな違いを感じません。
2014年の『笑っていいとも!』の最終回ではタモリさんの目からも涙がこぼれました。
現在77歳ですが、『ミュージックステーション』や『ブラタモリ』のレギュラー番組は継続中です。
『ミュージックステーション』は言わずと知れた35年以上続く長寿番組であり、また『ブラタモリ』も休止期間などはありますがパイロット版も含めると放送開始は2008年で、現在はレギュラー放送となっています。
芸人としてデビューしたタモリさんですが、趣味も多く博識で、人に愛される性格のタモリさんだからこそ長寿番組が多いのかもしれません。
世間の声
まとめ
今回はタモリさんのサングラスをかける理由とその遍歴について調査いたしました。
- サングラスをかけた理由は「顔にインパクトがない」と言われたからだった
- 過去には、色のついていない眼鏡やアイパッチで活動していた
- 真のタレントで77歳となった今もテレビ番組で司会をしている
才能あふれる人柄で調べれば調べるほど本当に素晴らしいかたですね。
これからも元気にテレビで活躍していっていただきたいです。