様々な役をこなし、「カメレオン俳優」として活躍中の、山田裕貴さん。
そのお父さんは元プロ野球選手で、山田和利さんと言います。
今回は、山田裕貴さんに多大な影響を与えた、父・山田和利さんについて迫ってみます。
目次
山田和利のプロフィール
- 生年月日:1965年6月3日
- 身長:178 cm
- 体重:82 kg
- プロ入り:1983年 ドラフト4位
- ポジション:内野手、外野手
- 出身地:愛知県名古屋市中村区
野球が好きな人ならその名前を知っているという、有名人。
実はチームでも指折りの大食漢、という一面もあったのだとか。
プロ野球選手として大活躍
山田裕貴さんの父・山田和利さんは、1983年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団しています。
最初は伸び悩んでいた山田和利さんですが、外野までこなすユーティリティープレイヤーとして活躍するようになりました。
その上、内野手としてだけではなく、打席でもチームトップの三塁打に、10盗塁、チーム3位の14犠打を成功させているのです。
1988年の中日は、4月終了時点で最下位でした。
しかし、チームは後半戦で怒涛の追い上げを見せ、逆転でリーグ優勝を実現したのです。
その陰には、82試合に出場し、打率.268、2本塁打の成績を残した山田和利さんの活躍がありました。
1991年、トレードで広島東洋カープに移籍となりました。
移籍先でも最初は伸び悩みましたが、持ち前の俊足・堅守に加え、強打の内野手へと変貌。
1992年は93試合に出場して、打率.282、8本塁打、29打点とニュースタイルの打撃を披露しています。
1995年には94試合に出場。
打率.270、12本塁打、53打点と強打者として活躍して、またしてもチームに貢献したのです。
そして1996年には、古巣の中日ドラゴンズに復帰しました。
しかし故障のため一軍出場できず、その年に引退。
通算成績は、下記のようになっていました。
- 366試合
- 865打数227安打
- 22本塁打
- 102打点
- 21盗塁、
- 打率.262
山田裕貴さんが追いかけていた父の背中は、こんなにも大きかったのですね。
コーチとして活躍していた
出典:https://www.nikkansports.com/
引退後は、そのまま指導者の道を目指した山田和利さん。
- 1997年:二軍打撃コーチ
- 1998年:一軍内野守備・走塁コーチ
- 1999年~2001年:一軍打撃コーチ
- 2002年~2003年:二軍内野守備・走塁コーチ
- 2004年:二軍野手総合チーフコーチ
- 2005年:フロント入り
- 2011年:広島の二軍守備・走塁コーチ
- 2012年:球団編成を担当
- 2015年:再び広島の二軍守備・走塁コーチ
一時期は球団編成に関わっていましたが現場復帰し、再びコーチとして活躍しました。
しかし、2021年11月、球団より今季限りでの退団が発表されています。
長い野球人生を終えられた今、どんな思いで山田裕貴さんの活躍を見ているのでしょうか。
小泉今日子のファン
山田裕貴さんの父・山田和利さんは、なんと小泉今日子さんの大ファンなんだそうです。
その小泉今日子さんと、息子・山田裕貴さんは、映画『ふきげんな過去』で共演しています。
山田裕貴さんは打ち上げで小泉今日子さんと一緒になり、そしてその場で父親に連絡しました。
しかし、最初はまったく信じてもらえなかったようです。
急に「小泉今日子と一緒にいる」と言われても、誰もが信じられないと思います。
憧れの芸能人が今ここにいるよって言われても、現実感は出てこないですよね。
そこで、山田裕貴さんは仕方なしに小泉今日子さんに直接、父親と話してもらいました。
相手が本物の小泉今日子さんだと理解した山田和利さん、絶句してしまったとのこと。
かっこいい父親がうろたえる姿、息子にとって新鮮だったのではないでしょうか。
なんとも微笑ましいエピソードです。
息子と父のエピソード
父親に認めてもらいたい一心で、野球を始めた山田裕貴さん。
しかし、父親と野球の話は一切していないというエピソードもあります。
山田裕貴さんはその理由を「自分も野球やっちゃうと父がライバルのような感覚になる」と説明しました。
そういう気持ち、男性なら分かるような気がするのではないでしょうか。
そして中学生で壁にぶつかり、プロを諦めた山田裕貴さん。
その時期にテレビドラマに励まされた経験から、俳優という職業に興味を持つようになりました。
「芝居で、たくさんの人の心を動かすことができたら、父親にも認めてもらえるんじゃないか」
そう思ったことが、俳優を目指すきっかけのひとつになったようです。
山田和利さんは、俳優・山田裕貴のファンでもあります。
必ず映画館に足を運び、TVなど作品はチェックしているそうです。
「『どうだった?』って聞くと、だいたい、『まだまだだな』って言われます」と語った山田裕貴さん。
父の批評が厳しいのは、相手を一人前と見ているからかもしれませんね。
しかし山田裕貴さん、今は言われるだけではなく、「演技したことあんの?」と返したこともあるそうです。
かつてはぎこちなかった父子の、現在の仲の良さが分かるやりとりではないでしょうか。
また、「人生最高レストラン」の取材を受けた妹さんが、兄に対する父の思いをこう語っています。
「褒める父ではないですが『裕貴はよくやっている』『俺にはできないことだからすごい』と前にポロッと言っていました。今も出ている映画やドラマは必ずチェックしているし、映画館に大きく張り出されているポスターを見て『大きく名前載ってるね』とうれしそうにしていました」
引用:https://www.sanspo.com/
不器用な父親像が、垣間見えますよね。
それを聞いた山田裕貴さんは、「本当に褒めない人だったので。『あの作品のあの芝居は、別にお前の芝居がいいわけじゃなくて、キャラがハマってるだけだから』とか。本当に褒めない人なので、なんかうれしいです」と喜んでいました。
山田裕貴は父を目指していた
少年時代の山田裕貴さんは、父の姿に憧れて野球を始めました。
小学生で名古屋市内のリトルリーグに所属し、野球に熱中。
このリトルリーグは強豪で、全国大会にも出場していました。
中学生になると、山田裕貴さんは『名古屋北シニア』という硬式野球のチームに所属します。
このチームも強豪で、それこそ毎年のように全国大会へ出場するようなところ。
ここで、山田裕貴さんは挫折をあじわうことになりました。
でも僕は補欠・準レギュラーぐらいの、出たり出なかったりみたいな感じで。最後の方はもう、「補欠でもいいや、みんなに迷惑かけないし」と思いながらやっていました。
強豪チームゆえに、才能や実力差を見せつけられてしまったのですね。
また、プロ野球選手の息子と言われるプレッシャーも重かったと言います。
父の背中を追いかけながらも、「何のために野球を始めたんだっけ?」と思い悩んだ、少年・山田裕貴さん。
結局、野球から離れることになりました。
プロ野球選手になる夢を諦めたきっかけのひとつは、「父を超えられない」という思いがあったこと。
それだけ、父親である山田和利さんの存在が大きかったのですね。
始球式で父の背番号30をつけていた
2018年に映画『あの頃、君を追いかけた』で主演を務めた、山田裕貴さん。
同年、ナゴヤドームで行われた、中日ドラゴンズ対東京ヤクルトスワローズ戦の始球式に登板しました。
その背中には、父・山田和利さんの背負った『30』の背番号。
俳優の道に進んだ後も、「始球式に登板したい」という山田裕貴さんの夢が叶った瞬間でした。
投球は、見事ノーバンのど真ん中ストレート。
投球後の取材に答えながら、山田裕貴さんは涙を見せていました。
いろいろな感情があふれ出したのでしょうね。
父から継いだ野球の実力
中学生で野球を辞めてしまった山田裕貴さんですが、間違いなく父親譲りの実力を持っています。
始球式に登板した時は、見事にノーバンのストレートをきっちり決めました。
しかも何時間か投げ込みを行う、というこだわりぶり。
また、インスタグラムでは自身が球速142kmを記録した際の映像がアップされています。
既に現役を離れて久しい、山田裕貴さん。
それなのに、これだけの球速が出せるのは、さすがとしか言いようがありません。
もし辞めずに続けていたら、名の知れた選手になっていたかもしれませんよね。
【名言】父からのアドバイス
野球を辞めた時、山田裕貴さんは父の和利さんにこう言われたそうです。
「俺は野球をやれとは言っていない。だけど、お前がやるって言ったことを何で最後まで続けなかったんだ」
その言葉にもやもやしたまま、山田裕貴さんは高校へ進学しました。
その後、忘れられない体験をします。
自分の友達が高校野球で甲子園に行って、スタンドに応援に行ったんです。その時、まだ試合も始まっていないのに、グラウンドを見ていたら涙が止まらなくなったんです。あのまま続けて頑張っていたら、スタンドじゃなくて、グラウンドに立っていたかもしれない。オヤジを超えていたかもしれない。なのに、途中であきらめてしまった。父という存在に自分から負けてしまって、あきらめてしまって、今、自分はスタンドにいる…。そんな思いが一気にあふれてきまして。一緒に応援に行っていた友達からしたら「なんで泣いてるの?」になったと思いますけど(笑)、その時に自分の中で何かがはじけたのは間違いありません。
引用:https://news.yahoo.co.jp/
父の言葉の意味が、そのとき初めて実感できたと言います。
そして、俳優になるため上京する日。
駅まで送ってくれた父は、息子に言いました。
「本当にやりたいことを見つけたなら、死ぬまでそれをやり続けろ」
「頑張れよ」
それは、普段はあまり会話もなかった父親からの、精一杯の餞の言葉だったのでしょう。
後に山田裕貴さんは、取材でこう語っています。
「自分がやるって決めたことをやめた時って、ものすごく後悔するんだなと思って。だから、次挑戦するって決めたことは絶対死ぬまで続けようって思ったのが、この俳優のお仕事」
父の言葉は、今も山田裕貴さんの人生の指針となっているようです。
妹は山田裕貴の家に泊まりに行くほど仲が良い
山田裕貴さんには2歳下の妹さんがいて、麻生さんと言います。
二人はとても仲良しのようです。
そんないいお兄ちゃんの山田さんですが、妹さんから「お兄ちゃんお小遣いちょうだい」とお金をせびられることがあるとのこと。
このエピソードを明かした山田裕貴さんは、お小遣いをあげたと言いながら「お小遣いって言い方嫌だな。ありがとうの気持ち」とも言っています。
妹さんに対する優しい気持ちが見える言葉ですね。
母親は羽田美智子に似ている
上記の写真は本物の羽田美智子さんですが、山田裕貴さんのお母さんは、この羽田美智子さんに似ているそうです。
一般人のため顔出しはありませんが、後ろ姿でTV出演されたことがあります。
息子が「母に似ている」と言うのですから、本当に似ているのでしょう。
つまりは、とても美人と言うことですね。
父親の和利さんも若い頃はかなりのイケメンでしたので、兄妹が美男美女揃いなのも頷ける結果です。
世間の声
まとめ
山田裕貴さんと、その父・山田和利さんについて迫ってきました。
まとめると、以下のようになります。
- 父・山田和利は、プロ野球選手として大活躍していた
- 引退後は、コーチとして長く活躍していた
- 山田和利は、小泉今日子の大ファンである
- 息子・山田裕貴と父・山田和利は現在は仲が良く、父は俳優として息子を認めている
- 山田裕貴は父を目指し、野球選手を目指すが挫折していた
- 俳優になってから登板した始球式で、父の背番号30をつけていた
- 父譲りの実力か、球速142㎞の剛速球を投げられる
- 父からの言葉が、今も山田裕貴の人生の指針である
- 山田裕貴は2歳年下の妹と仲が良く、時々妹が家に泊まりに来ることもある
- 母親は羽田美智子に似ていると、山田裕貴自身が語っている
父を目指して挫折し、そして父の言葉で新たな道へと進み始めた、山田裕貴さん。
その原動力は、まさしく「父・山田和利」であると言っても過言ではありません。
これからも活躍の場を広げていってくれることを、期待して止みません。