山本五十六と言えば、第26代連合艦隊司令長官であり真珠湾攻撃を成功させた人で有名ですね。
その一方で、戦争には反対意見を述べていた人物でもあります。
そんな山本五十六の子孫が、現在も山本五十六の意思を継ぎ役目を全うしているとのこと。
山本五十六の子孫について、深く迫ってみました。
現在は孫の山本源太郎が活躍中
山本源太郎さんは、山本五十六の孫です。
子孫としての役目として、新潟県長岡市にある山本五十六記念館の館長に2021年4月19日に就任されました。
源太郎という名前の由来は、山本五十六が懇意にしていた海軍大将でもあった山下源太郎からきているそうで、名付け親である父・義正さんが山本五十六を尊敬していたことが伺えますね。
そんな山本源太郎さんは、山本五十六に関連する書籍・映画公開などにはメディア出演していました。
2011年12月公開の映画『聯合れんごう艦隊司令長官 山本五十六~太平洋戦争70年目の真実~』の際も文藝春秋のインタビューにて、山本五十六や家族について語っていました。
その中で、山本五十六が戦地に赴く前に家族との最後の夕餉を過ごした際、山本五十六は夕餉に出た鯛に箸をつけなかったエピソードがあります。
山本源太郎さんは、その話は直接父・義正さんからは聞いていなかったそうで、『父・山本五十六』を読んで知ったと語っています。
子供の頃は、祖父が何故鯛に箸をつけなかったのかが理解できなかったそうですが、大人になって、この門出を喜ぶべきではないと思っていたから、鯛に箸をつけかなったと述べていました。
山本五十六が開戦を望んでいなかったことが分かるエピソードですね。
開戦を望んでいなかったエピソードの一つとして、山本五十六が海軍大臣に送った手紙にて「申すも畏き事ながら、ただ残されたるは尊き聖断の一途のみと、恐懼する次第に御座候」と送っていたそうです。
そのことについて山本源太郎さんは、「天皇陛下の最後の決断を願っていて、その願いの中になんとか戦争を止めてほしい」という、切実な願いがあったと語っています。
また、別の取材にて、山本五十六が書き残した備忘録について、山本源太郎さんは下記のように述べています。
備忘録は、山本五十六がロンドンからの行き帰りに記したもので、直筆で交渉でかなり苦悩していたという胸中が書かれている。
もちろん、山本五十六だけではなく、山本礼子(山本五十六の妻)さんについても、インタビュー時に語っていました。
山本礼子さんは山本源太郎さんが、10歳の時に亡くなったそうです。
山本源太郎さんは、山本礼子さんのことを非常に合理的で進歩的で、しっかり者でもありハイカラな女性であると話しています。
山本礼子さんのエピソードで一つ、祖父がアメリカから帰国し鎌倉の材木座に初めて自宅を建てる際も、後に暮らすことになった青山の自宅も山本礼子さんが一人で決めて建てたそうです。
山本源太郎さんは実際に祖父である山本五十六には会っていませんが、父が残した著書と父から祖父がどういう人であったか、どういう考えで戦争を見てきたのかを聞かされていたのかもしれません。
現在、山本源太郎さんは、山本五十六の命日である4月18日の法要に毎年出席しています。
その際も、山本五十六は本当は戦争を回避したかったはずと話していました。
嫁・山本礼子との子供たち
山本五十六には、妻の山本礼子さんとの間に4人の子供たちがいます。
その4人の子供たちを紹介していきます。
長男:山本義正
1922年に誕生。
山本義正さんは、山本五十六が38歳の時に誕生した待望の嫡子です。
府立一中卒業後は、父と同じく海軍兵学校を目指したそうですが、近眼と胸膜炎の影響で一度断念し、旧制成蹊高等学校理科甲類に進学しました。
しかし、在学中に父の訃報を聞かされたのです。
その後、東京帝国大学農学部に進学し、大学在学中に父の願いでもあった海軍に志願しパイロットを目指していたそうですが、近眼のため海軍整備予備学生として終戦を迎えたそうです。
終戦後は、東京帝国大学に復学し東大大学院を経て製紙企業に勤めていました。
また、山本義正さんは山本五十六についての書籍も執筆しています。
次男・長女・次女の詳細は不明
次男、長女、次女については現状名前までの情報しかありませんでした。
次男は山本忠夫(後に、中林忠夫と改名)。
長女は山本澄子。
次女は山本正子。
世間の声
まとめ
今回は山本五十六の子孫について紹介していきました。
記事の内容をまとめると下記の通りです。
- 孫の山本源太郎さんは、毎年山本五十六の法要に出席し、平和への想いを語っている
- 山本義正さんは、終戦後に山本五十六に関しての書籍を出版している
- 山本五十六は最後まで戦争回避を望んでいた
山本源太郎さんの内容から、山本五十六がなんとしても戦争を回避したかったという思いと軍人としての責務の間で揺れていたことが感じ取れますね。
山本五十六が望んでいた平和への願いを引き継ぎ、今でも語り継ぐ山本源太郎さんは自身の役目を全うしていると言えるでしょう。
昨今は、戦争というワードがまた飛び交うようになっています。
改めて国の重責を背負い、戦地に立った山本五十六と祖父の姿を語り継いでいく山本源太郎さんのエピソードは平和について考えさせられるものではないでしょうか。