呂雉の人豚事件の全貌が残酷でヤバすぎて絶句した!

中国三大悪女として名を連ねたのが統一王朝・漢を維持した呂雉(りょち)です。

現代でも、残酷な事件として語り継がれている呂雉が行った「人豚事件」

今回は、そんな呂雉と人豚事件について迫ってみました。

人豚事件の全貌

呂雉の行った人豚事件は、あまりの残酷さ故に、現代まで語り継がれています。

背筋が凍りつく人豚事件の全貌を見てみましょう。

 

人を豚のようにするのが人豚事件


出典:https://twitter.com

人豚事件は、上記の画像の呂雉が嫉妬の末に側室・戚夫人(せきふじん)を残酷な姿に変え、便所に置いたという事件です。

人豚事件が起こった背景には、なんとも女性らしい嫉妬の存在がありました。

 

呂雉は貧しい役人であった夫・劉邦(りゅうほう)を支え一男一女を授かりました。

呂雉の支えもあり、劉邦は皇帝にまで上り詰めました。

 

劉邦の正室・呂雉の息子である恵帝(けいてい)は、迷いなく次期皇帝となる皇太子であるはずだったのです。

しかし、劉邦は寵愛していた側室・戚夫人の子である劉如意(りゅうにょい)を皇太子に推薦したのです

劉邦と劉如意は、よく似ていて、尚且つ側室・戚夫人のプッシュもあり「皇太子は、劉如意にしようか。」と考えるようになりました。

 

正室である自身を差し置いて側室である戚夫人を優先させる状態を、呂雉が許すはずがありません。

呂雉の様々な根回しの結果、「やはり、皇太子は恵帝にしよう!」と決まり、恵帝が次期皇帝に決定。

呂雉の思惑通りの結果となりました。

 

紀元前195年6月1日に劉邦が死去すると、呂雉の息子・恵帝が皇帝になり、皇太后となった呂雉は復讐をはじめます。

 

まずは、息子・恵帝の皇太子になる邪魔をした劉如意の◯害を企てます。

呂雉と対して温和な性格だった恵帝は母・呂雉の企てを知り、劉如意を守っていました。

しかし、呂雉は恵帝の隙をついて、劉如意を毒殺で◯害することに成功しました。

 

劉如意の死を知った戚夫人は悲しみに襲われましたが、呂雉の復讐はまだ始まったばかりです。

女性として劉邦の愛を強く受けていた、戚夫人への復讐をはじめます。

「劉邦からの寵愛」「自分にとって邪魔な存在」である戚夫人に対する嫉妬心は凄まじかったのです。

 

まずは、戚夫人を投獄し、奴隷にしました。

そして呂雉は、戚夫人の腕と足を◯り落とします。

さらに両目を◯ぐり、薬によって耳と声を潰し、便所へと放りこみました。

 

息子・恵帝もその場におり、「人豚」と笑いながら、死に様を見世物にする母を目の前にしています。

その後、恵帝は人豚事件のトラウマにより精神異常を患い、現実逃避による酒に明け暮れ、紀元前188年に23歳という若さで死去しています。

 

女性は、嫉妬を強く持つものですが、呂雉の嫉妬心は計り知れない程だったのでしょう。

本能のままに行動したのですね。

自身の持つ権力を最大限に活用し、歴史に名を刻むほどの残酷さは「女性ならではの恐ろしさ」なのではないでしょうか。

 

 

人豚という名称の由来

人豚という名称は、便所へ放り込んだことが由来です。

当時、便所は「豚便所」という名で呼ばれていました。

 

理由は、漢の時代の便所は大きな穴を掘り便所を作り、その下に豚を飼っていたのです。

人間が排泄物をすると、下の豚が排泄物を食料にするという構造でした。

「豚便所」は中国から韓国や日本にも伝わっています。

したがって、豚便所に放り込んだ人間(戚夫人)ということで「人豚」という名がついたのです。


出典:https://twitter.com

上記は三国志展の豚便所の模型です。

 

当事者・呂雉のプロフィール

中国三大悪女であり、現代でも映像化されているほど人気者である呂雉はどんな女性なのでしょうか。

下記は、映像化されたチンランさんが演じた呂雉です。


出典:https://twitter.com

  • 名前  呂雉
  • 出生  紀元前241年
  • 死去  紀元前180年7月30日
  • 夫   劉邦
  • 子供  魯元公主(長女) 恵帝(長男)

 

呂雉は、地方の有力者である父の元に生まれました。

父が酒の場で気に入った劉邦の元に呂雉は嫁に行きます。

 

当時貧しい役人だった劉邦を、呂雉は妻として支え、漢の皇帝にまで出世させました。

皇帝である劉邦の死後は、自らの権力を発揮していきます。

嫉妬心と同じくらい野心もあった為、邪魔者は迷わず◯害するという方法で、権力を持ち続けたのです。

 

呂雉に対する恐怖もあり、呂雉の生きている間は一族のみが権力を持ち続けました。

しかし、呂雉も不死ではありません。

紀元前180年に病死すると、これまで我慢していた民族がクーデターを起こします。

このクーデターにより、呂雉一族は途絶えたと言われています。

 

しかし、なぜ呂雉はそんな残酷な人間であるにも関わらず、長い間権力を持ち続けたのでしょうか。

それは、人間としては残酷であっても呂雉の政治力のおかげで、漢の衣食は安定していました。

呂雉が怖いので、みんな必死に働いたのです。

呂雉は人間関係においては「恐怖の対象」であるものの、政治においては「立派な功績」を収めているのです。

 

もし、現代に呂雉が存在し、「パワハラ」とでも言うものなら「クビ」の一言で会社から追い出されそうですよね。

「パワハラ」で訴えたとしても、勝てそうにありません。

漢の時代でも現代であっても、敵にしたくない人物であることは間違いなさそうです。

 

 

世間の声


出典:https://twitter.com

 


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まとめ

今回は中国三大悪女・呂雉について調べてみました。

まとめると下記になります。

  • 呂雉は、夫・劉邦の側室である戚夫人に嫉妬心を抱いていた。
  • 呂雉は、側室・戚夫人は息子の跡目争いを繰り広げた。
  • 呂雉が戚夫人に行った殺害し便所に遺棄したことが人豚事件。
  • 漢の時代、便所の下に豚を飼っており、人間の排泄物を食料としていた。
  • 呂雉は、邪魔者は消すという残酷さを備えていた。
  • 呂雉は、人間力は問題ありだが、政治力は優秀だった。

 

女性は怒らせると怖いものですが、呂雉はレベル違いの怖さであったことがわかりました。

しかし、恐怖と共にカリスマ性も持ち合わせていると言われています。

怖さの中に「魅力」も備えているのが漢の時代を生きた皇后・呂雉なのではないでしょうか。

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