香淳皇后の性格はヤキモチ焼きだったエピソード

日本の国母と言われた香淳皇后をご存知ですか?

第124代天皇后で、昭和天皇と共に65年間この国の象徴として歩んでこられた方です。

多くの国民から親しまれてきた香淳皇后は、2000年6月に崩御いたしました。

今回は、香淳皇后の性格はおっとりしていてヤキモチ焼きだった、と言われるエピソードを深掘りしていきます。

プロフィール


出典:https://ja.wikipedia.org/

  • 第124代天皇后
  • 皇后:1926年12月25日
  • 皇太后:1989年1月7日
  • 生年月日:1903年3月6日
  • 崩御:2000年6月16日(97歳没)
  • 諱:良子(なかこ)
  • 旧名:良子女王
  • 追号:香淳皇后
  • 印:桃
  • 氏族:皇室(久邇宮家)
  • 父親:久邇宮邦彦王
  • 母親:邦彦王妃俔子
  • 配偶者:昭和天皇
  • 結婚:1924年1月26日
  • 身位:女王→皇太子妃(親王妃女王)→皇后→皇太后

1903年に久邇宮邦彦王と邦彦王妃俔子の第一女子として、誕生。

香淳皇后は、皇族出身最後の皇后かつ皇太子妃です。

 

あらゆる性格まとめ

香淳皇后は実際どんな性格だったか、4つのエピソードでご紹介します。

 

おっとり


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香淳皇后は、おおらかでおっとりとした円満な性格の持ち主でした。

夫婦仲は良く、昭和天皇は香淳皇后のことを「良宮(ながみや)」と呼び、香淳皇后は昭和天皇のことを「お上」と呼んでいたのです。

 

また、晩年には皇居や御用邸内を二人で散歩することが楽しみだったそうで、植物を好まれた昭和天皇が香淳皇后に説明しながら歩いていたとのこと。

散歩中に分かれ道に来ると、昭和天皇が「良宮、どちらにしようか」と問い、香淳皇后が「お上の好きなほうへ」と答える仲が良いエピソードもあります。

 

昭和天皇と香淳皇后は夫婦喧嘩は一度も無かったと近しい人は発言しているそうですが、1979年の『文藝春秋』2月号に側近が一度だけ目撃した夫婦喧嘩の光景が紹介されています。

たった一度の夫婦喧嘩を紹介されるほど、お二人の仲が良いことが分かりますよね。

 

ヤキモチ焼き


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おおらかな性格だと言われている香淳皇后ですが、若い頃には意外とヤキモチ焼きだったと言われています。

 

昭和天皇が即位してから間もない頃、夕食後は夫婦水入らずで過ごすのが日課でした。

しかし、宮中のしきたりで月経の時や風邪を引いた時などは別室にこもる「家庭内別居」状態になってしまい、夫婦水入らずの時間が空いてしまうことがありました。

 

そんな時、昭和天皇は内親王のところに顔を出したりしていたそうですが、その際にお仕えの女官に気になる女性がいたとのこと。

香淳皇后は昭和天皇の視線がその女官に向いていることを察知し、「にらむ仕草」で昭和天皇を牽制したと言われています。

 

おおらかで、おっとりした性格の香淳皇后の可愛らしい一面が見えるエピソードでもありますよね。

 

 

一生懸命


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香淳皇后は何事にも熱心に取り組む人だったと言われています。

しかし、ダイエットに関しては長く続かなかったそうです。

 

香淳皇后も歳を経るごとにふくよかな体型になり、侍医たちからダイエットを勧められました。

珍しく長続きしない香淳皇后を見て、当時の侍従長・入江相政は当時健康体操で有名だった竹腰美代子さんにこっそりオファーを出したそうです。

 

竹腰美代子さんは、体操を教えるにあたって一言、「体操だけでは痩せません」と香淳皇后に申し上げたことに対して、「私は痩せたくありません」と香淳皇后は返答しました。

続けて「私は、急いだことがございません。私は、力を出したことがございません。私は一生健康で暮らしとうございます」とお答えになったと言われています。

竹腰美代子さんは、香淳皇后のお言葉にいたく感動したとのこと。

 

椅子から立ち上がったり、腰かけたりする動作にもたつがず立ち振る舞いを軽やかにしたいという理由から、腹筋運動から始めたのです。

しかし、運動を開始した後に運動を終わらせる方法が分からず、失礼にならない言い方で終わらせるためにどうしたらいいかを考えていた結果、香淳皇后は通常の3倍のメニューをこなしたと言われています。

 

腹筋運動は辛く飽きやすい筋トレの一つとも言われていますが、香淳皇后の我慢強さと一生懸命さが分かるエピソードですよね。

 

優しい世話好き


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香淳皇后は、幼少時代から優しくしっかりとした面倒見のいい女性だと言われています。

 

面倒見のいいエピソードとして、昭和天皇の爪を切る役目は香淳皇后だったそうです。

侍医が昭和天皇に「爪が伸びていますね」と言った際に、「これは良宮が切ることになっているから」と切らない意思表示をしたとのこと。

 

また、御所にある吹上の森は昭和天皇の意向でできるだけ手を入れないようにと命じられていたそうですが、香淳皇后が手入れする150坪のバラ園だけは唯一例外でした。

香淳皇后のバラ園にだけ、昭和天皇も口を挟まなかったことから昭和天皇が香淳皇后を大事にされていたことが伺えます。

 

栽培したバラは昭和天皇の執務室や御所、宮殿に飾られたり国賓を迎えた宴席、子供たちの誕生日や就任挨拶に来た他国の大使夫妻、外国の賓客にもプレゼントしたと言われています。

香淳皇后自ら鍬を取り、枝の剪定を行うほど丹精込めて育てたバラはあらゆる用途で使用できるほど品質が良かったことが分かりますよね。

 

 

世間の声


出典:https://twitter.com/

 


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まとめ

今回は、香淳皇后の性格をまとめてみました。

  • おおらかで、おっとりした性格だと言われていた。
  • 昭和天皇のことを「お上」と呼び夫を立てる良妻賢母な女性だった。
  • 昭和天皇が女官に視線を送っているところに、「にらむ仕草」で牽制する、ヤキモチ焼きの一面があった。
  • 何事にも熱心に取り組む女性だったが、ダイエットは長続きしなかった。
  • 腹筋運動を通常の3倍のメニューをこなすほど我慢強い一面もあった。
  • 香淳皇后が手入れしている150坪のバラ園に関しては、昭和天皇も口を挟まなかった。

 

昭和天皇と65年間歩み続け、国母と言われた香淳皇后。

おおらかでおっとりした性格だけではなく、ヤキモチ焼きな一面や我慢強さな一面もあることに驚きました。

香淳皇后のおおらかでおっとりした性格がきっと夫婦円満の秘訣だったのかもしれません。

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