杉田玄白と言えば、江戸時代に活躍した蘭学者です。
皆さんご存知だと思いますが、解体新書を翻訳した方でもあります。
実は、そんな杉田玄白の子孫が優秀でユニークすぎるので、深堀していきます。
家系図
こちらが杉田家の家系図です。
子孫が多いことが分かるのではないでしょうか。
今回はその中からでも8名の子孫について紹介していきます。
ユニークすぎる子孫たち
杉田玄白の子孫は、学者・医者から航空機パイロット、野球選手まで幅広いジャンルで活躍しているので紹介していきます。
杉田立卿
杉田玄白と後妻の伊与との間に生まれた江戸後期の蘭方医です。
杉田立卿は杉田玄白の次男ですが、医家としての杉田家は杉田玄白の弟子で娘婿である杉田伯元が継いでいたため、別家を建て1804年に眼科医として独立し若狭国小浜藩医になりました。
杉田立卿は西洋眼科を専門としていたため、1815年にJ.プレンク著『眼科書』を訳し、『眼科新書』を刊行。
これが西洋眼科書の翻訳刊行の始まりとされているので、凄い実績とも言えます。
その他にも、1820年に『黴瘡(ばいそう)新書』、1822年には『日用百科事典』等の翻訳も手掛けています。
1822年に幕府の天文台訳員任命され、1830年~1844年には、老中水野忠邦の内命によって和蘭政典の訳に従事しています。
弘化2年11月2日に60歳で逝去。
和蘭政典は息子の杉田成卿が引き継ぎました。
杉田成卿
杉田成卿は杉田立卿の息子で、杉田玄白の孫です。
幼いころから学業に優れ、儒学を荻原緑野、蘭書を名倉五三郎などに学びました。
20歳の時から坪井信道に蘭学を学び、人格的にも深い感化を受け、1840年には父・杉田立卿と同じく天文台訳員に任命。
1843年に父から引き継いだ和蘭政典の訳に従事していましたが、内命を出していた水野忠邦が失脚したことによりこの書は日の目を見ないことになりました。
同年に父と共訳した『海上砲術全書』があります。
その後、1844年にオランダ国王から幕府に開国を新書の翻訳、1845年に杉田立卿の跡を継ぎ若狭国小浜藩主の侍医となりました。
1853年のペリー来航の際は、アメリカ大統領からの国書を翻訳していましたが、翌年に天文台訳員を辞職しています。
1856年に、現代の東京外国語大学の源流諸機関の一つでもある蕃書調所の教授に迎えられました。
これだけ読むと杉田成卿は蘭学以外の学問にも精通していたことが分かります。
しかし、生まれつき病弱であったことと心労により43歳で逝去。
辞世には「死にたくもまた生きたくもなしの花 ちるもちらぬも風にまかせて」。
杉田成卿の心労には、シーボルト事件以来の蘭学者への迫害、更には蘭学者自体の堕落が成卿の憂鬱を深めていたとも言われてたため、上記のような辞世の句になったと推測できます。
乙骨太朗乙
乙骨太郎乙は、幕末・明治時代の洋学者、翻訳者。
儒者・乙骨耐軒の長男として江戸に生まれた乙骨太郎乙は、昌平坂学問所に学び、蘭学を志して箕作麟祥のもとで英学を学んでいました。
妻は、杉田玄白の孫である杉田成卿の娘・つぎです。
乙骨太郎乙からみると、杉田玄白は義曾祖父にあたります。
また、乙骨太郎乙は国家「君が代」の歌詞の提案者とも言われています。
当時日本には国歌がありませんでした。
しかし、1869年4月にイギリス公使よりヴィクトリア女王の次男であるエディバラ公アルフレッドが同年7月に日本を訪問するとの通達が来たことがきっかけになります。
その際、イギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長であったジョン・ウィリアム・フェントンが日本に国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきだと進言。
その結果、自ら作曲を申し出たことで日本に国歌ができる最初の一歩になりました。
当時対応した大山弥助(薩摩藩砲兵大隊長)は、薩摩琵琶歌の「蓬莱山」のなかにある「君が代」を歌詞に選び、フェントンに提示。
フェントンの接遇係の一人であった原田宗介は、軍上層部にフェントンの意見を問い合わせしました。
しかし、会議中だからと取り合ってもらえず、対応は接遇係たちに任されていました。
この際に、乙骨太郎乙が大奥で行われていた正月の儀式「おさざれ石」で使用されていた古歌を提案。
原田宗介が「蓬莱山」と共通しているとして乙骨太郎乙が提案した歌をフェントンに伝えたのが経緯とされています。
江崎悌一
江崎悌一は、乙骨太郎乙の娘婿である江崎政忠の息子である江崎悌三の長男です。
この方の有名な話と言えば、かの大事件「よど号ハイジャック事件」ではないでしょうか。
1970年3月31日、羽田空港発板付空港(現・福岡空港)行きの日本航空315便の副操縦士だった、江崎悌一。
同便が、富士山上空を飛行中に武装した犯人グループにハイジャックされました。
犯人からの要求は北朝鮮へ向かうように指示されました。
しかし、江崎悌一さんが燃料が足りないからと犯人グループを説得し福岡空港に着陸しました。
実際は、予備燃料が搭載されていたそうなので北朝鮮まで飛行可能だったそうですが、武装した犯人グループに一度燃料を補給するためと説得したのは凄い勇気ですね。
犯人グループを乗せたよど号は北朝鮮まで飛行し、江崎悌一さんたちは北朝鮮で拘束はされたものの、5日後に日本に帰国できました。
江崎悌三
江崎悌三は、日本の昆虫学者であり江崎悌一の父親です。
妻はドイツ人のシャルロッテ。
江崎悌三さんは、九州大学農学部長、教養部長、日本学術会議会員、日本昆虫学会会長、日本鱗翅(りんし)学会会長などを歴任。
水生半翅類分類の世界的権威で、国際昆虫学会議常任委員として国際的に活躍していました。
日本とその近隣の蝶、ミクロネシアの動物相、ウンカの生態などの研究で大きな貢献を果たした方です。
江崎悌三の縁戚には、学者や医者が多く、父・江崎政忠は林学者であり、母方の祖父・乙骨太郎乙は洋学者になります。
母方の祖母は杉田家の出身になるため、江崎悌三からだと杉田成卿は曾祖父、杉田立卿は高祖父になり杉田玄白は五世の祖になるわけです。
手島孝
手島孝は、日本の法学者、九州名誉教授です。
1953年九州大学法学部卒、同助手、56年に助教授、64年に「アメリカ行政学史論」で法学博士になりました。
1966年九州大学法学部教授、94年に退官後、熊本県立大学学長に就任し、2001年に退任。
大学の学長まで歴任していたことから、優柔で実力のある方だということがわかります。
ちなみに、妻は江崎悌三の次女です。
手島孝さんの縁戚には、義父・江崎悌三や義曾祖父・乙骨太郎乙、高祖父・杉田成卿、五世の祖・杉田立卿になります。
この時点で、杉田玄白は六世の祖となりますね。
最近の話でいうと、2004年に弁護士登録したが、2010年に著述に専念のために弁護士を退会されました。
著書に『アメリカ行政学』や『現代行政国家論』、『地方復権の思想』などがあります。
その他にも、9冊の本を執筆していることから知識が豊富な方だったのが伺えますね。
長谷部光泰
長谷部光泰は、基礎生物学研究所の教授で、杉田玄白から数えると八世子孫になります。
息子は野球選手の長谷部銀次、妻は手島孝の娘です。
1987年東京大学理学部卒業し、1991年東京大学大学院理学系研究博士課程中退。
同年に東京大学理学部助手となり、1992年に博士になりました。
1993年~1995年に日本学術振興会海外特別研究員に就任し、1996年には岡崎国立共同機構基礎生物学研究所助教授に就任。
2000年より自然科学研究機構基礎生物学研究所教授に就任し、同年に総合研究大学院大学基礎生物学専攻教授も兼任。
主な受賞歴として、日本学術振興会賞や日本学士院学術奨励賞、日本植物学会学術賞、日本進化学会賞などが挙げられます。
現在は、基礎生物学研究所に在籍しながらYoutubeにて自習用講義動画の公開や講演会等で精力的に植物の進化について講義を行っています。
長谷部銀次
長谷部銀次は、長谷部光泰の息子であり日本の野球選手です。
小学校在学時に兄の影響でソフトボール部に入部し、中学校では軟式野球部に所属。
成績も優秀で、慶応義塾大学総合政策学部のAO入試を突破し、2017年に東京六大学の慶応義塾大学野球部に入部しました。
2021年4月に社会人野球の強豪・トヨタ自動車に入社しています。
長谷部銀次さんは、杉田玄白から数えると九世子孫にあたります。
祖父は手島孝、曾祖伯父は江崎悌一、曾祖母はシャルロッテ・ヴィッテ、曾祖父は江崎悌三になります。
父親も含め代々学者家系のため、長谷部銀次さんが甲子園に出場した際は杉田玄白の子孫として注目を受けていたようです。
世間の声
まとめ
今回は、杉田玄白の子孫8名を紹介しました。
記事の内容をまとめると下記の通りです。
- 杉田立卿は西洋眼科書の『眼科新書』を刊行し、これが西洋眼科書の翻訳刊行の始まりになった。
- 杉田成卿は幼い頃から学業に長けており、鎖国時代の日本にて諸外国の新書などの翻訳に貢献していた。
- 乙骨太朗乙は、大奥の正月の儀式「おさざれ石」の歌詞を君が代の歌詞として提案していた。
- 江崎悌三の長男・江崎悌一は、日本航空のパイロット時代に「よど号ハイジャック事件」に遭遇していた。
- 長谷部光泰は、基礎生物学研究所の教授であり現在はYoutubeで動画公開や講演会を精力的に行っている。
- 杉田玄白の九世子孫にあたる、長谷部銀次は野球選手として活躍している。
学者や医者だけでなく、航空機のパイロットや現在は野球選手までと幅広く杉田玄白の子孫は活躍しています。
学者・医者の家系だと思われていますが、スポーツ選手も輩出しているとても優秀でユニークな家系と言えますね。
長谷部銀次投手
広島東洋カープドラフト6位
頑張ってカープ優勝貢献して欲しい
江崎悌一さんの画像誰ww